2014年3月5日水曜日

77/100『「上から目線」の時代』 冷泉彰彦


(卒論時)読破っ!!
上から目線」の時代』 冷泉彰彦(作家)
発行:2012年1月 講談社現代新書
難易度:★
資料収集度:★
理解度:★
個人的評価:★★
ページ数:253ペー


【本のテーマ】(裏表紙裏より抜粋)
お互いがお互いを「上から目線」と感じている、つまり「目線の交差」がおきているが、これもよくあることだ。双方が、止めておけばいいのに、それぞれの価値観を披瀝してしまうと、お互いに相手の価値観を認めていない中で、一方的に価値観を押し付ける態度から「自分の人格が見下されている」という印象を相互に持つことになる。


【目次】
はじめに 
第一章 それは『バカの壁』から始まった
第二章 政治の混乱と「上から目線」の登場
第三章 日常生活の中の「上から目線」
第四章 価値観対立と「目線」
第五章 「コミュニケーション不全」と「目線」
第六章 日本語の特質と「上から目線」
第七章 対等であればつながれる
第八章 「上から目線」時代のコミュニケーション
おわりに これからの時代に伸びる個人、伸びる組織

【概要】
第一章 それは『バカの壁』から始まった
 首相がころころ変わっていたころ、首相の「上から目線」発言がよくメディアに問題視にされた。(福田元首相の「あなたとは違うんです」、柳沢元厚労相「女性は産む機械」など)そして、その後はそれを意識してか、「目線を下げて身を守る」風潮が広まった。(鳩山元首相、菅元首相「みなさまのお暮しが大切」、コンビニ敬語など)これは、人々が「上から目線」に人々がおびえ、振り回されている証である。これらの「上から目線」は90年代にはなく、03年の『バカの壁』あたりから広まった。(バカの壁自体は上から目線の内容ではないが、内容を誤解する人が多かった。)
 そもそも「目線」というのは、映画や写真を撮影する際の専門用語であったが、そこからお客や視聴者にどのように映るか、という意味に変わっていった。さらには「~目線で」という風にも使われるようになった。その姿勢は、謙譲の美徳にも見えるが、実際は緊張状態を回避するために下手に出ている、という「危機意識」が核にある。

第二章 政治の混乱と「上から目線」の登場
 最近の政治の流れは、「空気」から「困難の時代」、そして「目線」の時代へと変化している。
「空気」とは、郵政民営化、震災自粛ムードなど、社会全体を覆い一定の方向に向かう野に対し、「困難の感覚」は、社会全体に同調を迫るだけの熱狂がない。(格差問題、成果主義の導入など)そして、その後現れたのが「目線」の時代であり、どのような態度で発言をしているかが重要視されるようになっている。

第三章 日常生活の中の「上から目線」
 「目線」の登場の背景には「空気の消滅」が存在している。昔のように、純粋に初対面の人との会話が減り、また、社会の多様化により、共通の当り障りのない話題が選びにくくなった。
同じ価値観や空気を共有できていないそのような状況で、自分の価値観を一方的に持ち込むことで相手は「上から目線」を感じ、お互いが人格の卑下を感じる。それを「目線の交差」だと述べていた。

第四章 価値観対立と「目線」
 「目線」の存在が意識されるようになってから、価値観対立もさらに増えている。野良猫駆除・保護の問題、クマ被害に対する射殺・保護の問題、オリンピックでの國母選手の態度などの例をあげ、そこに「目線の交錯」が生じていることを述べていた。
そのような価値観対立が激化している理由として、①価値観の多様化、発言の自由化、②インターネットの登場により接触することのなかった両極端の者同士が接触するようになったこと、③昔はあった対立の会話の「テンプレート」がなくなった。の三点を指摘し、お互いの「世界観」がより強固なものとなり、例外を認めない閉塞的なものとなり、対立が激化する。と述べていた。

第五章 「コミュニケーション不全」と「目線」
 価値観の変化により生じるコミュニケーション不全も存在する。例えば、モンスターペアレンツは、かつての教師に全部を任せる、という価値観からの変化により生まれた。他にも、医者と患者、レストランの店員と客の間にも、「目線」が原因のコミュニケーションの遮断・変化がある。

第六章 日本語の特質と「上から目線」
 日本語の特徴という視点から見ると、日本語は「人間関係の調和が前提となってできている言語」であり、上下関係や親しさ程度による敬語の使用、そして主語の省略など、関係性の中に巻き込んでいく言語である。さらに、相手への明確な反論や、前提への懐疑をすると、想像以上の暴力的権力行使(敵意)として受け取られる性質がある。
つまり、日本語において「対等な会話」というのが「ほぼない」のであり、構造自体に上下関係という枠組みがデフォルトとして設定されている。それは①男女、社会地位、年齢などの属性や人間関係による上下関係、②話して>聞き手、という、情報を与える側が上、という関係、③会話の形式がもたらす上下関係(断定>曖昧、漢語・カタカナ語>和語)そして、このような上下関係のルールに違反し、相互間の「敬意の誤差」が生じると日本語はエラーになる。→相手の「上から目線」を感じてしまう。

第七章 対等であればつながれる
 東日本大震災の際のやりとりでは、そのような上下関係が吹き飛び、強い対等的なつながりがうまれた。特に、Twitterは「対等性」を持ったコミュニケーションを生んだ。

第八章 「上から目線」時代のコミュニケーション
 今後、「上から目線」を避けるためには、コミュニケーションがうまくいかない、相手に自分の考えを理解してもらえない時には、「価値観の相違」を疑い、①価値観論争をやめる②お互いが妥協できる「具体的な落としどころ」を探る、ということが必要である。しかし、ビジネス上ではやはり主張をしなければならないことがあるが、その時にも、①いったん自分の利害団体から抜け出す意識を持つ、②利害の結束点、利害の衝突するポイントに立つ。という工夫が必要である。
 このような「目線」意識の高まりは、日本人が、誰もが「見下されない権利」があり、また誰をも「見下してはいけない」という原則を意識し始めたからである。日本語の「上下関係」を要求してくる性質を意識しつつも、「人と人が対等である」ということを心に刻み、自分が一歩「下」に下がり、その上で具体的な問題解決のための生産性のある会話へと進むことが大切である。

【まとめ】
日本語には、価値観の多様化に対応する「会話のテンプレート」が存在しない。それは日本語が「共通の価値観」を前提とし、「和・調和」を目的とした言語だからである。そんな中で、従来の会話のテンプレートを依然として使い続け、自分の価値観を押し付けることは、価値観の多様性の否定、相手の価値観の否定につながり、お互いが「上から目線」だと感じる「目線の交差」が生じてしまう。また、日本語の特性として相手との上下関係を形成したうえで話すという特性があり、その「上下関係の認識の誤差」により「上から目線」を感じてしまうようになる。そのような日本語の特質を理解したうえで、「人と人は対等である」という意識を持ち、その上で自分が一歩下がり、問題解決のための生産性のある会話を心がけることが大切である。

【感想】
「共通の価値観が消滅した」のではなく、昔は価値の多様性を見ようとしなかっただけではないだろうか、と思いました。首相が「上から目線」だと批判されていた際、逆に言うと、首相自身も国民から「上から目線」を感じていたのでは?そこでも「目線の交差」、首相と国民の間の「政治に対する認識の差」という価値観対立が生じていたのではないか?と思いました。
AKBの「上からマリコ」や「ガリレオ」の吉高の態度も時代を表しているのかな、と思いました。
中国留学中は中国語で話していて楽だと感じたのは、上下関係を考慮した表現を考えないですんだからなのか、と気づかされました。

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