2013年9月25日水曜日

読書マラソン 26/100 『日の丸家電の命運』 真壁昭夫

読破っ!!
『日の丸家電の命運~パナソニック、ソニー、シャープは再生するか~』真壁昭夫(信州大学教授)
発行:2013年2月
難易度:★★★★☆
個人的評価:★★★★★
理解度:★★★☆☆
ページ数:221ページ
 
 
【本のテーマ】
 日本の家電大手メーカーが今、大きな危機に陥っている。それぞれの企業の特徴と、赤字の原因を考察し、今後の将来展開について考える。

【キーワード】
パナソニック :共存共栄、家族主義、破壊と創造
ソニー :コングロマリット志向(多角的事業拡大)、夢を与えるモノづくり精神、AR(拡張現実)
シャープ :独自性、国内一貫生産
NEC:キャリア(通信業者向けネットワーク事業)
富士通:筋肉質の体質、成果主義
Apple:ファブレス経営、コンシューマー企業
サムスン:ハングリー精神
日立:インフラ、BtoB、情報処理システム
東芝:ゴーイング・コンサーン、原子力発電事業
 
 NATO(日本式経営)、集中と選択、コモディティ化、合議制による意思決定
コアコンピタンス、レゾンデートル(存在意義)
  
【目次】
はじめに
第一章 松下幸之助の家族主義をも捨てたパナソニック
第二章 消えたソニースピリッツ
第三章 土壇場に追い込まれたシャープ
第四章 明暗を分けたNECと富士通
第五章 不振にあえぐ家電メーカーの共通項
第六章 アップル、サムスン電子ら海外勢が飛躍した理由
第七章 好対照に黒字確保した重電各社
第八章 日本の家電メーカーは生き残れる
 
【概要】
 
第一章では、Panasonicの現状と理由、今後の展望について述べていた。
2006年に一度目の経営危機に陥った時、中村邦夫氏による「破壊と創造」により、<破壊>聖域なき構造改革(松下幸之助の「家族主義」の改革など)<創造>プラズマテレビへの注力など、を行い、経営が回復した。そして、今回の経営危機は、結果論的に言うと、中村氏のプラズマテレビへの傾斜が過剰であり、彼の経営を引き継いだ大坪氏がそのことに気付かずプラズマテレビ事業を拡大したことが最大要因である。と述べていた。その他の要因としては、M&Aの「のれん代」(=企業買収の際、現在価値+将来の成長する価値を支払う)を松下通信工業(携帯電話事業)と三洋電機(太陽電池、リチウムイオン電池事業)の二社分支払わなくてはならない、「負の遺産」によるコストである。と述べていた。もう一つの要因として、繰延税金資金の取り崩しにより、税金の前払いができなくなった点を指摘していた。今後の展望として、まずM&Aの「負の遺産」を一掃し、その後で、「どの事業で何をして稼ぐか」に注目されている。と述べていた。
 
第二章では、SONYの現状と理由、将来の展望について述べていた。
ウォークマン発売により、株価が急上昇したが、2012年3月期で赤字転換。2013年には黒字経営に転換するが、その代償として1万人規模のリストラを行っている。
その要因として、創業時の精神が薄れ、コングロマリット志向(多角的事業拡大)が大きな要因であると述べていた。創業者の井深大氏の「自由豁達にして愉快なる理想工場」から、出井信之氏の保険、銀行などにわたる多角的事業拡大により、リスク分散効果がある反面、「モノづくり文化」が薄れた。と指摘していた。そして、ハワード・ストリンガー氏になってからは、外資系企業のようになり、コストカット、価格競争を徹底している。今後の展望として、ウォークマンやアイボのような、夢のある「モノ作り精神」を取り戻せるかが課題であると述べていた。
 
第三章では、SHARPの現状と理由、将来の展望について述べていた。
2001年にAQUOSを発売し、株価が上昇していたが、2012年3月期で赤字転換、2013年3月期にも赤字決算、さらに、2013年9月末には転換社債2000億円の償還期限が迫っている。その大きな要因として、「液晶一本足打法」、そして「日本製」にこたわりつづけた国内一貫生産を指摘していた。価格競争により破れてしまった。と述べていた。今後の展望として、財源の目途を立て、シャープの強みである「独自性」を活かすことが大切だと述べていた。
 
 第四章では、情報通信系メーカーであるNECと富士通を比較し、現状と理由を述べていた。
NECが赤字決済に転じた主な原因として、①2011年のタイの洪水によるサーバーなどのプラットフォーム事業の業績低迷②ケータイ、スマホへの出遅れ③キャリア(通信業者向けネットワーク事業)の不振の3点を指摘していた。特に③に関しては、前社長と新社長との間の反発によりトップ毎に経営戦略が大きく変わってしまうという「人災」的側面が強い。と述べていた。パソコン事業の成功により、「パソコン一本足打法」になってしまい、舵切りが難しかったことも指摘していた。
対する富士通は、かつてから「筋肉質の体制」と言われ、1993年にはメーカー初「成果主義」を導入した。結果的にはうまく機能せず、問題が生じたが、NECのようにぶっちぎりのトップにならなかったことが功を成したと述べていた。
 
第五章では、四章まで見てきた日本のメーカーの共通する失敗について述べていた。
①NATO=Not Action Talk Only(日本式経営を揶揄する言葉)=慎重⇔決断を先延ばしにする。
②顧客が本当に欲しいと感じる商品をつくれていない。
③自由と正反対の管理強化により、社員が新しい発想を生み出しにくくなる
④紋切型リストラにより、優秀な人材が会社に見切りをつけて流出してしまう。
⑤デジタル化の本質の見誤り(技術力<経営力への時代の変化)
以上の5つを大企業の衰退の要因の共通するところであると述べていた。
 
第六章では、アップル、サムスンなどの海外勢が躍進した現状と理由を述べていた。
アップルの成功要因として、エンジニア出身ではない創業者ジョブズが、1顧客からの視点で消費者が欲しいものを徹底要求した点、ファブレス経営(工場を持たず、外部委託)をするコンシューマー企業であった点、を指摘していた。また鴻海はEMS( Electronics Manufacturing Service)企業として、低価格でアップルなどからの受注を請け負った点を評価していた。そして、サムスンに関しては、韓国が経済危機に陥ってIMF資金支援を受けたことにより、国家破綻の憂き目を見たことと、北朝鮮との緊張した関係のなかから、自分たちが国力になりたい。というハングリー精神が強い。という背景の下で、日本の技術が普及し、また、家電製品がコモディティ化した(=作りやすくなった)点を指摘していた。
 
 第七章では、黒字を出していた重電系のメーカー(日立・東芝・三菱)について分析し論述していた。
日立、東芝、三菱電機の三社は、金融危機以降の経済環境下において、家電事業をリストラし、新興国のインフラ(特にアジア)への投資を進めた。そのようなBtoBの社会インフラは、アフターサービスが安定した収入の基盤となる。日立は、2009年3月期には、7873億円の赤字を計上したが、河村氏と中西氏を中心とする経営改革により、BtoCからBtoBに切り替え、競争の激しい家電から撤退をし、情報処理システムや信頼性が求められる新興国での社会インフラ(火力発電事業など)に集中したため、業績回復につながった。東芝は、西田前社長により、不採算事業から早めに撤退し、原子力発電・米最大手のウエスティングハウスを買収した。原発反対の風潮があっても、新興国で求められる安全性の高い原子力発電に日本が選ばれる可能性は高かった。と述べており、ゴーイングコンサーン(企業が継続的に事業を続けていくことを前提とした考え方)
三菱電機は、「強いものをより強く」という経営方針を正しく行い弱いところ(携帯電話事業など)を畳み、強いところ(環境エネルギーとインフラ)に集中した。特にFA(産業用ロボット)事業は、高い技術力が求められ、参入障壁が高いため、世界規模で需要がある。
以上三社はコモディティ化による価格競争から逃れ、自社の強みを生かした分野に集中することで、業績を維持できた。と述べていた。また、「経営者」の質も重要であり、顧客の一歩先を予測する能力が求められる。と述べていた。
 
第八章では、家電メーカーが生き残るために重要なポイントを述べていた。
まず著者は前提として、生き残れると言い切っており、そのために必要な力として。
①経営力・・・過去の成功にとらわれずに、常にイノベーション(改革)を起こせる経営者だ大切。
②新しい市場を開拓し、需要を掘り起こす。・・・顧客が欲しいと思うものを作る。BtoCにおいて高性能に傾倒しすぎない。
という二点を述べていた。そして、各メーカーに関しての対策を述べていた。
SONYは、AR(拡張現実)などの、「夢のあるモノ作り」というレゾンデートル(存在意義)を持ち続けることが大切であり、多角化した経営は、ホールディングカンパニーとして、独立させるのがよい。SHARPは、財源を安定させるために、良いパートナー企業を見つけ、BtoBに切り替えていくのがよい。Panasonicは、過去の負の遺産を整理し、太陽電池事業を住宅事業と結び付けた、Panasonicにしかできない事業をするのがよい。と述べていた。
そして、筆者が「生き残れる」と言い切った根拠として、「日本ブランド」に「安心・安全・高品質」というブランドイメージがまだ存在しているからだ。と述べていた。
 
 
 【感想】
就活中の面接で、「大手家電メーカーの経営悪化の原因は何だと思いますか?」と聞かれて、考えた末に、各企業の説明会で聞いたことも話しつつ、「大企業病になったから」と答えたのですが、その答えに自分で納得がいかなかったので、この本を読みました。読んでみて、各メーカーの強みや、過去の偉業を詳しく知ることができ、また、経営悪化のそれぞれの原因を知ることができました。しかし、それは企業の一側面でしかなく、企業の中にいろいろな側面があり、会社としての最終計上額を見て、結果論的に論じている。という印象も受けました。大企業を語る。というのは、本当に難しいな、と思いました。今は筆者のような経済の専門家の言葉を借りて、表面的に理解することしかできません。働き出して、何十年してやっと、もっと深くまで理解できるんだと思いました。
 
【評価・理解度】
各企業についてのイメージが深まったという点で、とても読む価値がありました!

2013年9月21日土曜日

読書マラソン 25/100 『ぼく、ドラえもんでした。』 大山のぶ代

読破っ!!

『ぼく、ドラえもんでした。』大山のぶ代(声優)
発行:20011年8月
難易度:★☆☆☆☆
個人的評価:★★★★☆
理解度:★★★★★
ページ数:301ページ
 
 
 
【本のテーマ】
 26年間、レギュラーメンバーと一緒に「ドラえもん」の声を演じ続けた大山のぶ代氏が、ドラえもんとの出会いから、声優交代までの思い出と、「ドラえもん」とどのように向き合ってきたかを綴った本。
 
【キーワード】
あの子(ドラえもん)、やさしさモワモワ(藤子・F・不二夫氏を表現した言葉)、パイプ、
「みんな同じ」、種を蒔く、受け継いでいく、国民的アイドル、日本人の心、美しい日本語
【目次】
まえがき
第1章 運命の出会い
第2章 テレビ「ドラえもん」スタート!
第3章 『のび太の恐竜』公開!
第4章 映画ドラえもん時代・1~怒涛のドラ波
第5章 藤本先生の思い出
第6章 映画ドラえもん時代・2~先生の蒔いた種
第7章 ありがとう、ドラえもん
第8章 伝えていきたいこと
あとがき
 
【概要】
第1章では、大山のぶ代氏がドラえもんの声優に決まったころのエピソードが書かれていた。
初めの頃は、きちんとしたスタジオではなく、地下室の一室で行っていた。
漫画の世界観やキャラクターの設定をしっかり吟味し、言葉遣いに気を付けて演じてたエピソードや、初めて藤本先生(藤子・F・不二夫の本名)が録音を見に来られた際のエピソードが書かれていた。(藤本氏が録音の様子を見られた後に、のぶ代氏が「私、あれでいいんでしょうか・・・」と聞いた際に、「ドラえもんって、ああいう声だったんですねぇ」と答えた。)
 
第2章では、ドラえもんが公開され、大人気になる過程が描かれていた。
高視聴率をとれたこと、イベントに引っ張りだこになり、そこで子供たちに喜んでもらったエピソードなどが描かれていた。
 
第3章では、ドラえもんの初めての映画が公開され、さらに人気が高まる過程が描かれていた。
映画では、全編一気に録音するため、声の維持が大変であった、本編上映の際に、子供が2階席で身を乗り出していたので、ドラえもんの声で注意を促したエピソード、ゴールデンディスクを受賞した、等のエピソードがつづられていた。大山のぶ代氏が、自身の意志で、「ドラえもん」以外の声のみの出演を断り続けてきた。という話が印象的だった。
 
第4章では、映画の上映までの裏側のエピソードについて述べられていた。
製作現場で生まれた専門用語や苦労話について綴られていた。
その中でも、大山のぶ代氏が、サイン会の際に来た車いすに乗った少年と母親を特別扱いせず、「みんな同じ」と言って、他の子供たちと同じように扱い、その後のその少年の生き方に影響を与えた。というエピソードが印象的だった。
 
第5章では、ドラえもんの生みの親である藤本氏とのエピソードが綴られていた。
ドラコン会、ドラ旅、など「ドラえもん」と関わった人々との定期的な交流会についてのエピソードや、
藤本氏が亡くなって、各声優さんたちが悲しんだり、受け入れたりするエピソードが描かれていた。
 
第6章では、藤本氏亡き後の、ドラえもんの活躍について描かれていた。
藤本氏が生前に残した脚本をもとに、映画を作り続けたエピソードや、映画に登場するゲストとのやりとりのエピソードが書かれていた。また、小学館の「クリーンドラキャンペーン」(1988年~2003年)により、エコなエネルギーを使う乗り物「ドラバルくん」、「ソラえもん号」、「ドラりん丸」、「バルえもん」、「ドラ・で・カイト」について述べられていた。また、世界でドラえもんが愛されていたエピソードや、「アジア太平洋こども会議」や「紅白歌合戦」などのNHKの番組に出演した際のエピソードが綴られていた。
 
第7章では、大山のぶ代氏が病気で入院し、引退を考えるエピソードが書かれていた。
手術をする際、ドラえもんが背中を押してくれたエピソード、手術中のお見舞いのエピソード、引退を考えるエピソードなどが綴られていた。退院後、「ドラえもん」の声を続けていく途中で病気になることが、「ドラえもん」を汚してしまうと考えるようになり引退を考えた、というエピソードが印象深かった。
 
第8章では、大山のぶ代氏自身の学生時代について綴られていた。
声に対して強いコンプレックスがあったが、母親の助言により、声を活かした生活を模索し、声優にたどり着いた。というエピソードが述べられていた。(母の助言:「そこが弱いと思って、弱いからといってかばってばかりいたら、ますます弱くなっちゃうのよ。弱いと思ったら、そこをどんどん使いなさい。」)また、4世代・13人家族という家庭で育ったことが、「正しく」生きる、という生き方を育み、それを「ドラえもん」を通して子供たちに伝える「パイプ」になりたい。という思いで声優をしていた。と述べていた。「ドラえもん」のレギュラーメンバーは、「悪い言葉を使わない」という約束をし、ジャイアンが「コノヤロー!」を連発していたのを、「のび太のくせに~!」に変えた、というエピソードが素敵だった。
 
【感想】
小さい頃からなじみ深いドラえもんの声の人の書いた本。どんなことを書くのだろう。と思い読んでみました。その中には、感慨深い、優しさにあふれたエピソードがたくさんありました。
 
全章を通して、大山のぶ代さんの人生の中にはいつもドラえもんがいて、いい経験をするたびに、「大山さん、またいい勉強をしたんでしょ?うふふふ」というドラえもんの声が心の中に響いた。というように綴られており、また、手術を受けるのをためらっていた際にもドラえもんの声で、背中を押してくれた。等のエピソードがあり、大山さんの中に、いつも「ドラえもん」が存在していて、それは大山さんの別人格、等ではなく、26年間付き添い続けたからこそ、「ドラえもん」の性格を知り尽くしているからこそ出てきた空想、ファンタジーなのだと思いました。自分の声であるはずの「ドラえもん」が、自分の意思とは違うところで自分に声をかけている。という不思議な感覚を想像することができました。
ドラえもんが人気になるにしたがって、子供への影響力が計り知れないほど大きくなりました。それをきちんと、しっかりと背負うことができたのは、大山さんの育ってきた環境や、性格に大きな原因があったのだと思いました。
声優が変わってから大山さんが彼らのことをどう思っているのか、最近は「ダンガンロンパ」というアニメで別のキャラクター(かなりダークな役)の声を演じていること。そのことについてもどう思っているのか、いろいろとお話を聞いてみたくなる、魅力的な方だと思いました。
 
【評価・理解度】
読みやすい文章で、様々なエピソードを綴ってありました。ドラえもん世代にとっては、裏話を知れる興味深い本であり、時々出て来るドラえもんを中心としたキャラクターたちの声の脳内再生が半端ない本です。笑

2013年9月19日木曜日

読書マラソン 24/100 『どんくさいおかんがキレるみたいな。』 松本修

読破っ!!

『どんくさいおかんがキレるみたいな。』 松本修(放送作家)
発行:20013年5月
難易度:★★☆☆☆
ページ数:331ページ
 
 
 
【本のテーマ】
関西の人気番組「探偵!ナイトスクープ」の生みの親、「全国アホバカ分布図」の著者である、放送作家の松本氏が、方言が標準語の中に広く深く浸透していく過程を具体的な論拠をあげ分析し、考察した方言入門書。

【キーワード】
「どんくさい」「みたいな。」「キレる」「おかん」
芸人、隠語、楽屋言葉、メディア 
 
【目次】
まえがき
序章 千と千尋の「どんくさい」
第一章 「マジ」にときめく深夜の少年
第二章 笑いの装置「みたいな。」の誕生
第三章 「キレる」宰相と若者たち
第四章 「おかん」の陽はまた昇る
あとがき
 
【概要】
まえがきでは、お笑い界がリードして現代の日本語を変えてきた。と述べていた。
著者がテレビバラエティのディレクター、プロデューサーとして生きてきた経験を背景に、日本の話し言葉が変容してきている一例を論じ、その背景を考察していく。と述べていた。

序章では、「どんくさい」という言葉の広まりについて述べていた。
著者が担当していた『ラブアタック!』という、関西のローカル番組から全国ネット番組に昇格した番組があり、その中で「どんくさい」という言葉を司会者が多用していた。当時関東出身の学生アルバイトによると、関東では「どんくさい」と言う言葉を使わず番組で初めて聞いた。とのことだった。しかし、14年後のある出版記念パーティーで、当時の関係者が当時は関東では使わなかったが今ではよく聞くようになった。という話を聞いた。また、映画「千と千尋の神隠し」の中でも、千尋が「どんくさい」と馬鹿にされ、最後にはリン(湯屋の先輩)が「『どんくさい』って言ったのを取り消す!」と言うように、ある意味「キーワード」として登場しており、著者は言葉が浸透する過程に関わることができた、と実感した。

第一章では、「マジ」という言葉の広まりについて述べていた。
もともと「マジ」という言葉はもともとはお笑いの楽屋で用いられる「隠語」であった。それがなぜこれほどまでに広まったのか。歴史をさかのぼり、江戸~明治時代にも「マジ」という言葉が関東を中心に普及していたが、明治維新という社会改革の中でいったん死語となった。と述べていた。『現代用語の基礎知識』という現代語辞書をもとに、「マジ」が再び普及する二回の波(1979年と1985年)を指摘し、その原因を分析している。第二回の波(1985年)の頃は、さんま・ビートたけしなどの「ひょうきん族」のメンバーが中心になって広めた、と結論づけ、第一回の波(1979年)は、「オールナイトニッポン」で福亭鶴光が多用していたことを指摘していた。関東のリスナーを意識し、関西弁を多用しようと意識するうちに、楽屋の隠語であった「マジ」も無意識的に多用し、結果的に関西でのトークよりも関東でのトークの方が「マジ」を多用するという状況になった。言葉の変容に大きく関係する、以前の落語家の東西交流についても述べられていた。

第二章では、「みたいな。」という言葉の用法と広まりについて述べていた。
「・・・みたいな。」という言葉は、語尾に置くことで、セリフを丸ごと「引用化」し、過激な事を言っても自分への発言責任が曖昧になる。という効果から、会話の誘引剤となり、コミュニケーションを盛り上げる効果を持っている。と述べ、ここ数年で若い世代を中心に多用されているため、世代によっては違和感を感じる。と述べていた。「・・・みたいな。」の表現は、昔から、芸能界の間では使われる表現であったが、それを世間に広めたのは、「とんねるず」であると結論付けていた。彼らが番組の中で多用していたのだが、その背景にあったのは、とんえねるずの出演するバラエティのプロデューサーの口癖であったものを、とんねるずが流行らせようと意識的に番組内でも使用した。と述べていた。そのプロデューサの話によると、番組の会議の際に、「例えば・・・」で話し始めると重苦しく、回りくどいが、いきなり具体的でインパクトのあるアイディアを話し、最後に「みたいな。」とおどけることで、話しているうちにアイディアに自信が無くなったりしても、ごまかして笑いがとれ、場を和ませることができる。と述べていた。「・・・みたいな(笑)」話法は、話にメリハリをつけ、それでいて、過激すぎない印象を与え、聞く人を楽しませたいという思いに溢れた話法である。と述べていた。

第三章では、「キレる」と言う言葉の意味が変容し、広まっていったことについて述べていた。
安倍首相を始めとする政治界の人をメディアが取り上げる際に「キレる」と言う言葉を多用するようになった。もともと若者言葉であったものが、日本語へと浸透していっている。しかし、もともとは「キレる」は大阪の楽屋言葉であり、昭和40年代以降使われていた、「センキレ(線キレ)」「キレテル(切れてる)」という言葉で、「頭がおかしく、行動が変だ」「線=頭の神経の筋、回路、が切れている」という「狂人」をも意味する言葉であった。1970年代後半には「狂ったように激怒する」という意味に変容しつつあった。それを世間に中心となって広めたのは「ダウンタウン」である。と述べていた。

第四章では、「おかん」を中心に、親への呼び名の変容について述べていた。
「おかん」は関西の方言であったが、ダウンタウンのコント「おかんとマー君」をきっかけに、全国に広まる。しかし、その松本人志氏本人は、他の番組の中で両親のことを「かあちゃん、とうさん」と呼んで育ってきたと分かる。2009年に著者が行った関西学生に対するアンケートでは、普段両親をどのように呼ぶかという調査により、男子学生は、昔は「お母さん」と呼んでいたのが「おかん」に変わり、友達との会話に登場するときには「おかん」が一番多い、という結果が出た。(お父さんは、友達との会話に登場する際にも「お父さん」と「おとん」が同数くらい。)(女子学生は「お母さん」「お父さん」のままが多い)「おやじ」は少数、「おふくろ」は皆無。
「おかん」の一番古い歴史は、天保一四年(1843年)であり、庶民的というイメージはなく、生活に余裕のある大坂の町人の娘や息子が母親に対して敬意をもって使っていた言葉であり、のちに庶民がそれにあやかって使うようになったのではないか、と述べていた。しかし、戦前の時代に「お母ちゃん、ママ」という言葉の普及により、衰退していった。そんな中1975年前後に、大阪のお笑いでギャグとして「おかん」が使われるようになる。「お母さん」よりもランクの低い言葉として新鮮味で滑稽な言葉、または「庶民的な大阪の母の記号」として、再び広まった。
そして、「アホの坂田」こと坂田利夫氏、間寛平氏、西川のりお氏との各対談の中では、坂田氏が幼少から母親を「おかん」と呼んでいたと述べていた(しかし、父親は「おとん」ではなく「お父ちゃん」)ことや、母親が商売をしている家庭では、「おかん」と呼ぶ文化が根強く残っていたことが述べられていた。つまり、「おかん」は働き者で、貧しくはあっても、いつも明るく元気で頼もしい。そして子供を育てるべき母としての、絶対的な愛情に満ち溢れた存在である。と述べていた。
今、また普及し始めているのは、そのような「母親像」を求めているからではないだろうか。と締めくくっていた。

あとがき
前著「全国アホバカ分布図」では、言葉が地を這うように、しだいに広まる過程を分析していたが、
メディアの普及により、今や言葉は地ではなく、天から電波として伝わり、広まっていくようになった。と述べていた。

【感想】
「生きた言葉」を考察している本だと思い、とても興味深かったです。同じ言葉でも、生きる時代、育った環境などによって、印象が大きく変わってくる。そういうことを感じれる本でした。実際に、この本のタイトルも、最初見たときは「方言の寄せ集め?」という印象でしたが、それぞれの単語の歴史や背景を読んだうえでみると、また印象が変わってきました。それぞれの言葉をこれでもか!というくらい掘り下げていたのが、さすが放送作家で、「言葉」に対して本当に真剣に、真摯に向き合っておられる姿勢を感じました。

そして何より、自分の研究にも役立つな、と思ったのが、「新しい言葉」を研究する際に、「その言葉をどこで、初めて聞きましたか?」という質問を投げかけることで、その言葉が生活に密着したレベルでどのように広まっていったのかを知るきっかけになる。ということを学びました。

自分たちが年寄りになった頃には、また「言葉」も変わって、今の流行語が「死語」になって、また新しい言葉が生まれていき、昔の言葉が違う意味を持って使われていくのかな。という想像をしました。年を重ねるごとに、言葉の深みをより味わうことができるのかな。と感じました。

【個人的理解】
80% 歴史的な説明は、具体的すぎて、さらっと流させていただきました。。。
【個人的評価】
80点 エッセイ的要素がある中にも、学術的な要素も多く、読みやすく、興味深いテーマの本でした。

2013年9月14日土曜日

読書マラソン 23/100 『イギリス型<豊かさ>の真実』 林信吾

読破っ!!
『イギリス型<豊かさ>の真実』林信吾(作家・ジャーナリスト)
発行:2009年1月
難易度:★★★★☆
ページ数:198ページ
 
 
 
【本のテーマ】
 イギリスでは医療を無料で受けることができる。「高福祉高負担社会」とはどのようなものか、その良い点、悪い点を考察し、日本と比較し日本が目指すべき理想の福祉社会について考える。

【キーワード】
ゆりかごから墓場まで、NHS(ナショナル・ヘルス・サービス)、GP(ジェネラル・プラクティッショナー)、労働党、保守党、新自由主義、英国病、痛みを伴う改革、NEET、クローズド・ショップ制度、ニューディール制度、国民皆保険、<アリとキリギリス>
 
【キーパーソン】
チャーチル、マーガレット・サッチャー、トニー・ブレア
 
【目次】
第一章 17.5パーセントの意味
第二章 ゆりかごから墓場まで
第三章 「低福祉・低負担ニッポン」
第四章 「クラウン・ジュエル」
第五章 ところで、若者は・・・?
第六章 長寿社会と福祉国家
あとがき
 
【概要】
第一章では、英国の高福祉高負担社会についての現状を述べていた。
イギリスでは医療費がほぼ無料である。厳密には薬代は定額性、歯科医療は一部有料であるが、
診察、手術などは無料で受けられる。その財源は、消費税(VAT=付加価値税)17.5%である。
その政策は「万事を自己責任で片づけず、医者にかかれない人をなくす社会」を目指すものである。アメリカは低福祉低負担、日本はアメリカ寄りの中間である。と述べていた。そして、実際に英国で生活をしていた日本人家族を例に、具体的な家計事情を述べていた。
 
第二章では、高福祉を実現するNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)の歴史や特徴を述べていた。
戦後、元軍人がけがを治すのにお金をとならなかったことから始まり、1948年にNHSという医療無償制度として始まった。たびたび一部有料化の動きがあり議論が紛糾した。そこでは、統治の理論=「富める者は貧しき者に手を差し伸べる義務がある」という社会主義的考えと、「金持ちを貧乏にすることによって、貧乏人を金持ちにはできない」という新自由主義的考えがぶつかり合っている。
 
第三章では、日本の福祉の現状について述べていた。
1961年から国民皆保険制度が始まったが、医療がハイテク化することによるコスト増大、少子化による納税者の減少などにより、制度的に無理が出始めている。その対策として①受益者負担を徹底する②高福祉・高負担社会に切り替えていく、の二つの方法があると述べていた。
 
第四章では、サッチャー政権、ブレア政権での福祉政策の違いについて述べていた。
サッチャー政権では、NHSに市場原理を持ち込むことで効率化を目指そうとしたが、その結果医師・看護師の負担が増し、労働環境が悪化しさらには海外へ流出してしまい、人手不足に陥った。無償でサービスは受けられるが、その質が低い。という問題が生じた。
それに対して、ブレア政権では、NHSを「クラウン・ジュエル(王冠の宝石=手放せないもの)」であると述べ、新自由主義でもマルクス主義でもない第三の道を模索した。
またGP(ジェネラル・プラクティッショナー)というかかりつけ医制度があり、NHSとGPの二つを利用する。ということについても述べていた。
 
第五章では、若者の教育費などの金銭問題についてのべていた。
NEETはイギリス発祥の言葉であり、「国がなんとかしてくれる」という考えから生まれ、以前まで採用されていたクローズド・ショップ制(=リストラの際、後から入った社員から)が後押しをした。また、イギリスでは公立学校の授業料が無料である。しかし、私立学校は膨大なお金がいる。このことが階級社会を助長するとし、ブレア政権では教育機会の平等化を訴えている。と述べていた。
 
第六章では、英国の福祉制度の問題点と、目指すべき福祉国家の姿について述べていた。
英国の医療無償化は、第四章で述べたように、労働環境の悪化などの「制度疲労」を生み出しているが、あくまで「医療を受けられない人」を生み出さないように、他の制度と併用して存続していくであろう。と述べていた。日本の福祉政策に対して著者の主張として、①高齢者と若者の医療費を無料に②国立大学の学費を無料に、ということを主張していた。
 
【感想】
難しかったです。。。途中で何度寝たことか。しかし、授業と違って寝ると先に進まないのが、本の良いところでもあり、辛いところだと実感しました。イギリスの高福祉・高負担についての本でした。本の中でたびたび福祉のたとえとして「アリとキリギリス」の例えを出していました。物語の中のキリギリスは遊んでいたから最後に貧しくなっていますが、救済されるべき貧困とそうでない貧困を峻別し、救済されるべき貧困には国や社会が手を差し伸べるべきだ。という考えには共感しました。「アリとキリギリス」も、もしもキリギリスが病気や教育機会の不平等、家庭の経済的貧困により職を得ることができなかったと考えたら、とても残酷な社会のお話になるんだと思います。そして、その救済すべき・そうでないの峻別の境界線があいまいで、わかりにくくて、難しい。ということを述べていたのが。その通りだと思いました。
安倍政権でも、先日消費税をあげる。という発表をしていて。「この国はどこへ向かっているんだろう」と、うっすらと考えるようになりました。少子高齢化で年金制度が制度的に無理が出てきている。という話も、まだ先のことで他人事のようですが、もっと考えないといけないな。と思いました。
「いざというときは、国がなんとかしてくれる」社会というのは、ありがたいものであり、その反面、ソ連崩壊のような事態へつながる危険性もあるのかな。と考えました。この本には出てきませんでしたが、ソ連崩壊についても、もっときちんと知りたいと思っています。
 
【個人的理解度】
70% 具体的データ(家計状況など)が多くて、それが具体的すぎて分からなかったです。
 
【個人的評価】
80% 福祉国家、福祉社会について考えるいいきっかけになりました。
 
 
 

2013年9月11日水曜日

読書マラソン 22/100 『タモリ論』 樋口毅宏

読破っ!!
『タモリ論』樋口毅宏(作家)
発行:2013年7月
難易度:★☆☆☆☆
ページ数:190ページ
 
 
 
【本のテーマ】
「いいとも!」に毎日生放送で出演し続ける「タモリ」に焦点を当て、彼のすごさ、経歴、人柄について述べ、大御所であるビートたけし、明石家さんまとも比較し、それぞれの違いを考察する。

【キーワード】
 生放送、ハプニング、長寿番組、大御所芸人、日常の一部、欺瞞的空間、Xデー
 
【目次】
はじめに
第一章 僕のタモリブレイク
第二章 わが追憶の「笑っていいとも!」
第三章 偉大なる”盗人”ビートたけし
第四章 明石家さんまこそ真の「絶望大王」
第五章 聖地巡礼
第六章 フジテレビの落日、「いいとも!」の終焉
おわりに
 
【概要】
はじめに、では、「お笑い」をテーマに語ることのむずかしさを述べていた。
「海について知るものは賢者だが、海について語るのは馬鹿だ」とう言葉を述べ、それを承知したうえでこの本で「お笑い」について述べる。ということを宣言していた。
 
第一章では、著者がタモリに魅力を感じ始めたきっかけについて述べていた。
著者は、最初のうちは「いいとも」を「ぬるい空気と欺瞞に満ちた嘲笑すべき」ものであると感じていたが、職場の尊敬する先輩カメラマンがタモリのある番組にゲスト出演し、その先輩がタモリの印象について「恐ろしく孤独な人だ」と語ったことで、興味を持ち始めた。と述べていた。
 
第二章では、「いいとも!」の番組史について述べていた。
1982年の10月から「笑っていいとも!」の放送が始まる。当初はワンクールで終わる予定の番組であったが、30年以上続いている。生放送のためハプニングがしばしば起こっていた。それらのハプニングの一部や、テレフォンショッキングの次の日のゲストを電話で呼び出す際のやりとりなども、実は事前に打ち合わされていた。「100%仕込みでもないし、100%フリーでもない」と制作者のコメントを引用していた。デビュー当初のタモリは「江頭2:50的キワモノ」扱いだったのが、年月を経て国民的タレントになった。
 
第三章では、比較としてビートたけしについて、経歴と特徴を述べていた。
タモリが漫画家の赤塚不二夫氏に見込まれて芸能会入りしたのに対して、たけしは下積みを経て師匠を持ち、自力であがってきた。その過程で多くの芸風を真似て学び、後に映画監督となった際にも、多くの作品の「オマージュ」を自身の作品に取り入れている、ということを指摘していた。その傾向から、たけしは強い「憧れ像」を抱き、その人間像に向かって真似をし、学ぶ性格である性格であり、ピカソの「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」の実践者である。と述べていた。しかし、「盗む」際にはいくつかの守らねばならない原則があり、たけしはそれを守っている点も評価できると述べていた。
 
第四章では、比較として明石家さんまについて、経歴と特徴を述べていた。
高田純次の病欠による代理でバラエティに出演し、それまでは俳優路線で進んでいた。タモリを「絶望大王」と述べていたが、さんまこそが「リアル絶望大王」であると述べていた。その根拠に、家庭環境や、弟の事故死について述べ、だからこそ生きることのありがたみや、笑うことの大切さをより感じ、人を笑わせる使命感が強い。と述べていた。
 
第五章では、著者が「いいとも!」の観覧に初めて行ったエピソードが書かれていた。
幼いころテレビで見ていたセットを生で見たことで、「方丈記」の「ゆく河の流れは絶えずして、、、」の一節が思い浮かび、自分が「聖なる一回性」の中にいる。と実感した。と述べていた。
そして、やはり全体を通して「異様に明るい欺瞞的空間」を感じるが、それが正しい「いいとも!」との付き合い方だと感じた。と述べていた。
 
第六章では、大御所の引退について思いを巡らしたことを述べていました。
「いいとも!」は絶頂期からは視聴率が下がり、視聴者の一部が他局にうつりつつある現状がある。2012年の「27時間テレビ」ではタモリが総合司会を果たし、番組の中でさんま・たけし・タモリの「三大大御所」が共演を果たした。その様子を著者は「テレビの最終回、フジテレビの葬式、テレビの遺影」であると表現し、彼らのような大御所を育て上げられていなかった芸能界の現状を憂いていた。
 
おわりにでは、タモリが「タモリ」でなく早く「いち人間」に戻れる日を願う。と述べていた。
 
【感想】
最近重いテーマばっかりだったので、すごく読みやすかったです。エッセイ風の論調で、すらすらよめました。
著書の中で引用していた「パレード」という小説の引用で、
 
「笑っていいとも!」ってやっぱりすごいと私は思う。一時間も見ていたのに、テレビを消した途端、だれが何を喋り、何をやっていたのか、まったく思い出せなくなってしまう。「身にならない」っていうのは、きっとこういうことなんだ。
 
と、いうものがあり、これはすごく深いと思いました。「記憶に残る思い出」に価値があるというのは結構意識されますが、「記憶には残らない『当たり前の安心感』に浸かれる空気」というものにも同じように価値がある、という風に思いました。「サザエさん」しかり、「探偵ナイトスクープ」でも、同じような現象があると思います。それは、家庭内で何気なく話していることを覚えていないのと同じ感覚なのではないか。と思います。そんな「記憶に残らない安定感・安心感」の価値は、もしかしたら、前述の「記憶に残る思い出」よりも欺瞞性が低く、リアルで、親近感を感じれる、価値があるものなのかもしれません。
 
個人的にタモリさんと、さんまさんと、黒柳さんが好きで、彼らがテレビから消えることを考えると、すごくさみしいし、悲しいです。しかし、そのXデーは必ずやってくると思います。
彼らのような長寿番組を務められる大御所司会者が生まれることを期待しています。
 
【個人的理解度】
80% ところどころ出てくるプロレスの例え話があまりわからなかったです。(^-^;
【個人的評価】
70点 エッセイ的本でしたが、大御所の歩みからすごく身近な「歴史」を感じることができました。

2013年9月9日月曜日

読書マラソン 21/100 『一億総ガキ社会~成熟拒否という病~』 片田珠美

読破っ!!
『一億総ガキ社会~成熟拒否という病~』片田珠美(精神科医)
発行:2010年7月
難易度:★★☆☆☆
ページ数:248ページ
 
【本のテーマ】
ひきこもり、モンスターペアレント、依存症、新型うつ、それらの現代における社会問題に共通する点として、現実と理想(自己愛的万能感)のギャップを受け入れられない事からくる「成熟拒否」である。という主張を軸に、それぞれの社会問題との関連を述べていた。
【キーワード】
万能的自己愛、成熟拒否、対象喪失、打たれ弱い、他責的、依存症、モンスターペアレンツ、
パーフェクトペアレント、パーフェクトチルドレン、カーリングペアレンツ、
 
 
 
【目次】
はじめに
第一章 「打たれ弱い」という病
第二章 一億総「他責的」社会
第三章 依存症――自己愛の底上げ
第四章 大人になるってどういうこと?――対象喪失とは何か
第五章 子どもを子どものままにしないために(処方箋)

【概要】
第一章では、ひきこもりに焦点を当て、引きこもりと成熟拒否について述べていた。
引きこもりは、幼いころの幼児的万能感を引きずったままで、万能的自己愛によって形成された理想の自分と現実の自分とのギャップに耐えきれないために発生している。と述べていた。
その原因の一つとして、フィンランドで提唱された「カーリングペアレンツ」(スポーツのカーリングのように、子どもに立ちはだかる障害を全部のけてしまう親のこと)について述べられていた。
 
第二章では、新型うつやモンスターペアレンツの特徴として見られる「他責的性格」と成熟拒否について述べていた。
これらの問題も、根底には理想と現実のギャップを受け入れることができないという成熟拒否が存在していると述べていた。新型うつは、従来のうつとは違い、落ち込む原因を自分ではなく他人に求める傾向がある。モンスターペアレンツについては、子供の教育の責任が地域から家庭にうつってきていることで、親が「パーフェクトペアレント」として「パーフェクトチルドレン」を育てようというプレッシャーが発生している現状や、自分の自己愛を子供に投影し、自分が叶えられなかったことを子供に叶えさせようとしている現状を指摘していた。
 
第三章では、薬物の依存を始めとする、依存症と成熟拒否について述べていた。
「依存症」のきっかけとは、理想と現実のギャップに耐えきれず、それを埋める手段として「何か」に依存する。と述べ、違法薬物から、合法的な精神安定剤やお酒など、そのような役割を求めて人々が行う「嗜癖」について述べていた。
 
第四章では、対象喪失、という言葉をより深く定義づけしていた。
対象喪失とは、「大切なものを失う」という意味であり、一番大きな対象喪失は、「自分自身の死」である。と述べ、末期患者が死を受け入れるプロセスについて、①否認②怒り③取り引き④抑うつ⑤受容、という5つの段階を踏むのが一般的だと述べていた。それは日常的レベルで考えても、「理想と現実のギャップにぶち当たる」という「対象喪失」(万能的自己愛を失うとき)同じように5つのプロセスを踏む。と述べ、①の段階を乗り越えられない人が第一章で述べたひきこもり、②の段階を乗り越えられない人が第二章の「他責的」な人④の段階の人が従来のうつになる人である。と述べていた。
 
第五章では、対象喪失を乗り越えるためにどうすればよいか、をのべていた。
著者自身、万能的自己愛がまだぬぐい切れていないと述べており、そんな中でも、提言として、若いうちから挫折を経験しておくことで、「自分の身の程を知っておく」ことが大切だと述べていた。
そして、「~すべき」「~するな」という単純な行動の助言では問題は解決できず、自分の対象喪失背景にどんな問題があるのかという「問題」を認識することが、解決のための一歩であると述べていた。
 
【感想】
少し前から、「自己愛」というものについて考えていたので、参考になりました。幼いころの万能的自己愛を引きずったまま、理想と現実のギャップに苦しんでいる。というのは、的確だと思いました。近年社会問題化している問題の根本にはこの「自己愛」との向き合い方がうまく出来ていないことからくるものなんだと、以前よりも確信的に思うようになりました。
便利さや豊かさの代償として、対象喪失と向き合う抵抗力が下がる。というのは、避けられないことなんだと改めて思いました。
みっともない自分も頑張って受け入れて、この現代を生き抜いていきたいです。
 
【個人的理解度】
80% フロイトの部分が少し分からないところがありました。
【個人的評価】
70点 いくつかの社会問題を結び付ける視点を得られましたが、同じことを章ごとに繰り返し言っていたところがあり、少し「くどく」感じました。そのせいでページ数も多くなっているんだと思います。

2013年9月8日日曜日

読書マラソン 20/100 『日本の自殺』 グループ一九八四年

読破っ!!
『日本の自殺』グループ一九八四年(専門学者集団)
発行:2012年5月(初出)1984年5月
難易度:★★★☆☆
ページ数:197ページ
 
【本のテーマ】
かつて繁栄したローマ帝国がその豊かさにより内側から崩壊(=自殺)していった様子は、今の日本と通じる点が多々存在している。ローマ帝国の没落から、国家や文明の没落について考察し、そこから教訓を見出すとともに、日本の将来に警鐘を鳴らす。

【キーワード】
文明の没落、パンとサーカス、シビル・ミニマム、大衆社会化状況、豊かさの代償、便利さの代償、情報化の代償、幼稚化、野蛮化、疑似民主主義、悪平等主義
 
 
【目次】
はじめに
第一章 衰退のムード
第二章 巨大化した世界国家”日本”
第三章 カタストロフの可能性
第四章 豊かさの代償
第五章 幼稚化と野蛮化のメカニズム
第六章 情報汚染の拡大
第七章 自殺のイデオロギー
エピローグ 歴史の教訓
補論 ローマの没落に関する技術史的考察
 
(解説)
「グループ一九八四年」との出会い 田中健五(元『文芸春秋』編集長)
「グループ一九八四年」の執筆者 大野敏明(産経新聞編集委員)
「日本の自殺」その後 中野剛志(京都大学大学院准教授)
「自殺」か、「自然死」か 福田和也(文芸評論家)
二一世紀の「パンとサーカス」に抗して 山内昌之(明治大学特任教授)

【概要】
はじめに、ではこれまでに21の文明が発展し、一部が没落し消滅していったと述べ、そこから「国家や文明の没落」に焦点をあて、日本の現状に警鐘を鳴らしたい。と述べていた。
 
第一章では、ローマ帝国がいかに滅亡したかを述べていた。
文明が消滅するその特徴として、外的要因が決定的な原因ではなく、その前に社会の内部から崩壊し、「自己決定能力」を失っていることが大きな原因であると述べていた。
具体的な理由として①繁栄の謳歌による欲望の肥大化②人口の集中的流入による「大衆社会化状況」(無秩序な大衆の集積地)③無産者の救済と保障(シビル・ミニマム)の要求「パンとサーカス」④経済インフレーションからスタグフレーションへの変化⑤エゴの氾濫と悪平等主義、の5つをあげていた。
 
第二章では、日本が「世界国家」として繁栄をしてきており、その繁栄がストップしている現状を述べていた。
高度経済成長を経て、GDPや賃金水準などの観点からも世界的におおきな飛躍を遂げた。
しかし、1974年にゼロ成長状態に陥っており、そこから先はマイナス成長への危険性が潜んでいる。
 
第三章では、今後日本でおこると予想される大きな変化(カタストロフ)について述べていた。
①資源やエネルギーの厳しい制約②環境コストの急上昇③労働力需給のひっ迫と賃金コストの上昇(賃金と物価の悪循環)の3つの危機の本質的な性格は経済的なものであるというより、社会的、心理的、文化的、政治的な文明論的性格を帯びている。つまり、現代版「パンとサーカス」が大きな原因の一つである。と述べていた。
 
第四章では、ローマ崩壊のプロセスと日本の現状を重ねて述べていた。
世界国家の繁栄→豊かさの代償としての放縦と堕落→共同体の崩壊と大衆化社会状況の出現→「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」→増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失→エゴと悪平等主義の氾濫→社会解体、というローマ崩壊プロセスは、日本の社会過程と類似していると述べ、ローマのように崩壊することを避けるためには、日本人が「自己決定能力」を失わなないことが重要であると述べていた。
豊かさの代償とは、①資源の枯渇と環境破壊②使い捨て的大量生産、大量消費の生活様式の定着(新奇性を追い求める)③便利さの代償(体力の低下、無気力、無感動、無責任、伝統文化破壊による日本人のコア・パーソナリティの崩壊)
 
第五章では、便利さの代償であり、情報化の代償である現象として、幼稚化について述べていた。
代表的な現象として「押しボタンの世界」について述べ、インプットとアウトプットのみ理解し、間の過程は「ブラックボックス」のまま理解せず、それでいて、アウトプットの質を上げることを要求する。という現状を指摘していた。
 
第六章では、情報化の持つ自壊作用について述べていた。
「情報化の代償」として、
①マス・コミュニケーションの提供する情報などの「間接経験」の比重が飛躍的に増大し、濃い内容の「直接経験」の比率が次第に低下。→情報が断片化、表面化、希薄化する。②情報過多に伴う各種の不適応症状問題③情報の同時性、一時性→刹那主義的な生き方の助長④情報受信と発信との極端なアンバランス→双方交流による思考ができず、オリジナリティのない借り物の知識となる。⑤マス・メディアによる異常情報、粗悪情報の過度拡散、の5つをあげ、それらが思考力、判断力を衰弱させ情緒性を喪失させ、幼稚化と野蛮化の病理を深めさせている。と述べていた。
 
第七章では、自殺のイデオロギーとしての「疑似民主主義」(悪平等主義)について述べていた。
疑似民主主義の特徴として、①非経験科学的性格「信じれば救われる」②画一的、一元的、全体主義的性格③権利の一面的強調(義務と責任を果たさない権利の主張)④批判と反対のみで建設的な提案能力に欠ける⑤エリート否定による大衆迎合的性格⑥コスト的観点の欠如、の6つをあげ、疑似民主主義は放縦とエゴ、画一化と抑圧を通して、社会を内部から自壊させる。と述べていた。
 
エピローグでは、これまでの諸文明の没落から、教訓を導き出していた。
①国民が利己的になり、みずからのエゴを自制することを忘れるとき、経済社会は自壊していく。②国民が自立の精神と気概を失う時、国家社会は滅亡する。③エリートが精神の貴族主義を失い大衆迎合主義に走るとき、その国は滅ぶ。④若い者にいたずらにこびへつらったり、甘やかしてはならない。⑤人間の幸福や不幸お金や物の豊かさだけで測れるものではない。
 
補論では、ローマ没落に関して詳細な論述をしていた。
117年の領土拡大停止から衰退が始まった。当時は奴隷が生産、エネルギーなど社会の根底を支えており、奴隷の技術に頼ったことにより、技術革新が停滞していた。技術者は停滞した中心にいるより、周囲へ行ってしまい、空洞化が進んだ。食品も輸入品にたより、輸入に見合う輸出品がないため、領土に課した税金で国家が成り立っていた。
 
解説では、各論者がこの本についてやグループ一九八四年について述べていた。
「日本の自殺」その後では、本の中の未来予想との相違点を述べつつも、「文明が内部から崩壊していく」という論点が的確であると述べていた。
 
【感想】
タイトルから見ると「日本の自殺」なので、「人」について述べられている(自殺率など)のかと思ったのですが、まさかの「国」の崩壊についてでした。しかし、ローマ帝国崩壊の状況と日本の現状を重ねる、というのが新しい観点で新鮮で衝撃的でした。特に「パンとサーカス」という表現が印象的でした。今、日本でも(世界でも?)「フリーミアム」という無償化が広まり、「無料でよこせ!」という国民の感情が高まっている現れだと思いました。また、豊かさや便利さや情報化、それぞれにその代償があるということをしっかりと理解するべきだと思いました。それぞれのプラス面、マイナス面どちらも理解していないと、文明崩壊の方向に流されてしまう、という危機感を感じました。
 
【個人的理解】
70% ローマ帝国の歴史がおおまかにしかわかりませんでした。。。
【個人的評価】
90点 1984年に出された本とは思えないほど、今の現状を言い当てていると感じました。
しかも、1984年当時はまだ右肩上がりの時代だったのに、そんな時代にこの本を書いたということも、先を見据えていてすごいと思いました。