2015年12月27日日曜日

145/200『かもめのジョナサン』リチャード・バック(作家)


読破っ!!
『かもめのジョナサン』(作家)
発行:2014年6月 新潮社文庫

難易度:★☆☆
資料収集度:★☆☆☆
理解度:★
個人的評価:★★☆☆
ページ数:236ページ



【本のテーマ】(裏紙帯より抜粋)
「飛ぶ歓び」「生きる歓び」を追い求め、自分の限界を突破しようとした、
かもめのジョナサン。群れから追放された彼は、精神世界の重要さに気づき、
見出した真実を仲間に伝える。しかし、ジョナサンが姿を消したあと、
残された弟子のかもめたちは、彼の神格化を始め、教えは形骸化していく・・・・・・。
新たに加えられた奇跡の最終章。
帰ってきた伝説のかもめが自由への扉を開き、あなたを変える!

【目次】
Part one
Part two
Part three
Part four

【感想】
ベースは成長物語。少年ジャンプ系に通じるものを感じた。
「より美しく飛ぶ」という信念に取り憑かれたかもめのジョナサンが、
群れから追放され、チャンやサリヴァンに出会い、より高みを目指し飛行訓練を行う。
そして、かつてのジョナサンのような
がむしゃらに飛ぶことに執着しているフレッチャーに飛行術を教える。
そのフレッチャーがまたほかのかもめ達に飛行術を教える頃には、
ジョナサンの存在は神格化されてしまう。

読んでから感想書かずに放置したため、
あらすじ程度のことしかかけない。。。涙

しかし、この本は二回目の読了なので、
三回目に期待。

143/200『クール・ジャパン!?~~外国人が見たニッポン』鴻上尚史(作家・演出家)


読破っ!!
『クール・ジャパン!?』鴻上尚史(作家・演出家)
発行:2015年4月 講談社現代新書

難易度:★☆☆
資料収集度:★
理解度:★
個人的評価:★★
ページ数:236ページ



【本のテーマ】(表紙帯より抜粋)
なぜ日本人は職場のデスクに家族の写真を置いていないのか?
日本人は写真が大好きなのです。なのに、どうして、世界では主流になっている
「自分のデスクに家族の写真を置いていないのか」と、多くの外国人は不思議に思うのです。
欧米はもちろんですが、アジアでも、自分の職場の机の上に、
妻や子供、愛犬の写真を置くのが普通です。なのに、どうして日本人はしないの?と言うのです。
家族の写真を置いている理由は、「自分の個人スペースなんだから、
そこを快適な空間にすることは当たり前だろう」とアメリカ人が説明したことにつきます。
全員がうなづきました。(中略)カナダ人が言いました。「上司に怒られてストレスがたまっても、
机の上の妻の写真を見たらホッとする。ストレスが減る。だから、置いているんだよ。」と。
僕は訊きました。「妻の写真を見て、ホッとするの?妻の写真見て、ストレスが増えることはないの?」
番組に参加した外国人は「こいつはなにを言っているんだ」という冷たい目で僕を見ました。
ニードルカーペット、いえ、針のムシロに座っているようで、いたたまれませんでした。

【目次】

【感想】
感想書かないまま放置してしまい、あまり覚えてないため、
二回目読めたら読みます。(読まない予感(・・;))

2015年12月26日土曜日

144/200『ブレーキ』山田悠介(作家)


読破っ!!
『ブレーキ』山田悠介(作家)
発行:2015年6月 角川文庫

難易度:★☆☆☆☆
資料収集度:★☆☆
理解度:★
個人的評価:★★☆☆☆
ページ数:291ページ




【本のテーマ】(表紙帯より抜粋)
ビンゴに己の運命を託す死刑囚。命を狩るサッカーで大金を稼ぐ男。
”とある役割”を決めるためにトランプに挑む家族。
観客の命を守るために優勝しなければいけないゴルファー。
そして、愛する者の処刑を防ぐためにブレーキを踏まずに死のコースを駆ける青年。
生き残りたければ勝つしかない――これは、自らの生命を賭けて繰り広げられる死の遊戯。
山田悠介の原点ともいえる5つのサバイバルゲームが、装いも新たに再文庫化!


【目次】
ビンゴ
サッカー
ババ抜き
ゴルフ
ブレーキ

【感想】
読みやすい短編。軽い読み物だった。
ハラハラ系の短編と言えば、乙一が思い浮かびますが、

山田悠介の短編はまた違った色があります。
文章構成力や物語の運び、伏線の回収は乙一の方が好きです。
山田悠介はそれらの点では叶いませんが、
「状況」の設定の仕方がユニークだと思います。
普段誰もが遊んだり見たことがあるような遊びや身近なモノが、
命を賭けた戦いとなる。
日常から延長されたハラハラ物語、
しかし、この本はハラハラ加減が自分には物足りませんでした。
状況設定はユニークなんだけど、もうちょっとハラハラさせてほしかったなぁ。
乙一の場合は、状況設定がもっとさりげない感じがする。
いつの間にか物語の中に引き込まれて、読み終わったころに、
「あぁ、この物語はこういう状況設定だったな」って思いだせる感じ。
山田悠介の方が物語の状況設定が露骨で。
そこが多分物足りなかった原因なのかな、と思う。
あと、文庫本なのに、字の大きさを大きくして叫んでる声を表現するとか、
反則やろ。(悪い意味で)

乙一よりも対象年齢が低いと感じました。
中学生~高校初期くらいまでで楽しめる作品だと思いました。

2015年12月19日土曜日

(第二篇)”秒回“和”已读“的弊害

科学技术的日新月异的进步给我们带来很多变化。
最大的变化之一就是智能手机的普及。
日本二十代的年轻人百分之八十有智能手机,
用SNS的三十代已经超过百分之八十。
中国情况也差不多。在中国替LINE用微信和QQ,替facebook用人人网等等。
那些变化给我们什么样的影响呢?

第一,表面上的变化,联络方法变化了。
以前我们只能打个家庭电话才能沟通朋友。
有时候以为给朋友打电话却接电话的是他家人,就感觉有点尴尬。
然后先手机普及了,我们用个人电话可以随时联络了。
但是一般用邮件的比较多。有着急的事情才用打个电话的人比较多。
然后变成智能手机,用SNS了就联络节奏更加快了。

第二,随着变成随时随便跟人家联络,人际关系也有些变化了。
虽然联络地越来越方便,不过那也会引起有些压力。

在中国的,“秒回”代表着那种压力。
秒回就是主要是男女朋友之间,收到了短信之后立刻给对方回信的意思。
很多年轻人重视对方的秒回的程度。
秒回的程度就代表着对方心里你是多么重要。

在日本的,“已读”代表着那种压力。
已读就是用line的时候,对方看到了短信,发信者就能看到在短信旁边“已读”这两个字。
我们会知道对方“已读”之后没给我回信,这被叫做“已读无视”
在日本的话跟中国有些不同,有些人“已读”之后立刻回信也不太开心,
却感觉到对方太闲了或者没有别的朋友。

这些两个现象,虽然表面上有些不同,
但是两个都是从智能手机能的够随时随便联络因素引起来的人际关系上的压力。

一方面中国年轻人重视谁给谁秒回,一方面日本年轻人重视谁被谁被已读无视了什么的。
但是呢,我们不应该被智能手机被支配或者被影响人际关系。
虽然我们随便随时可以联络了,但是还是我们都有自己的时间和自己的节奏。
本来谁也没有权利要求对方勉强放弃自己的时间来联络。
然后,本来最重要的是回信的内容,而不是回信的速度。

当然秒回和已读里面有一些礼貌上的问题。
我们收到了短信就应该尽可能早点看它,早点回信。
不过太重视那一点的话,我们的人际关系就会发生压力会累。
我们享受科学技术的好处,但是理解怎样对待它不能被支配。

2015年12月8日火曜日

(第一篇)黑企业的诞生

最近通い始めた中国語のレッスンのために作文します。
気が向いたら和訳します。

这几年来在日本,被叫做“黑企业”的公司被看到问题了。
黑企业就是让员工工作的太辛苦,没给他们十分的休息空间。
但是呢,十几年前,在1980年代日本还在高度成长期的时候,
员工们一样得从早上到深夜工作了。
一个很有名的广告词“你能工作24个小时不?”是营养饮料(regain)
这广告代表着哪些时代把他们所有的能量都埋头工作的员工们。
但是在那些时代,这种工作方式没有被看到问题。
是为什么呢?

理由应该有两个。
第一,80年代,从经济方面看来,日本很有前途。
工作得越多就能够涨越多钱。奖金也挺多。
他们经常下班了就去喝酒逛街到深夜,然后公司会给他们组出车的车票。
经济不断地发展,升级的机会也挺多的。
他们为了买房子,买车,养家庭和孩子,坚持工作。
心里有希望,所以他们能够自愿地工作到深夜。

第二,他们能分享“共同的物语”
从那年代的日本人来说,进入重点大学,进入好公司,
跟才貌双全的妻子结婚,买房子买车子,就是很幸福的事情。
向那种理想他们不断地努力,到达那些理想就你会感到自己人生的阶段。


可是,现代日本的样子就不一样了。

第一,我们经过所谓“被失去的十年”(从1990年到2000年)
大企业接连地倒闭,工资也降下来了。
而且突入“超高龄化少子社会”,将来不确定能得到自己付出的养老金。
在这种背景下长大的年轻人,
被叫做“宽裕世代”是因为在学习环境自由空间太大了,
甚至是被叫做“领悟世代”是因为对自己的期待或者野望太少了,
媒体说他们对社会没有兴趣,没有关心,不容易感动。
经济不好的情况下,曾经想象的“普通”已经不是普通了。
房子买不起,车子买不起,结婚,养孩子也要很多钱。

第二,社会接受多样性了
进入好公司也不一定拿到幸福。
以前大家分享的“共同的物语”也已经不可靠了。
选择“不生孩子”或者“不结婚”的很多年轻人也越来越多了。
还有爱好也多样性了,以前不太受欢迎的“宅男”和“宅女”
现在已经得到市民权了,有时候看到帅哥美女也自称自己是“宅”。
年轻人不太爱喝酒,下班就回家埋头自己的爱好。

当然,80年代也有宅男宅女,现代还在相信曾经的“共同物语”的人也有。
我们不能容易地辨别世代论,可是观察时代变化还是很重要。

然后,最近引起另一个问题,
就是那两种世代人之间的价值观的矛盾。
在公司的宴会之中,中年人容易会提到结婚的话题,或者按“共同的物语”的话题。
从年轻人来说,日本的未来也不是那么有前途可是他们要求年轻人一样得努力。
太不算话了。
最近,新入社员不到三年就退职或者跳槽,还有有些年轻人得了忧郁症。
那种问题有可能从这些矛盾来引起来的。

我经常想象,现在已经经验战争的世代已经越来越少了。
还有过了几十年,经验高度经济的世代也会慢慢的减少。
那日本的未来会怎么样。
我们不能回到过去那些时代的趋势。