2014年1月27日月曜日

60/100『ヒロシマ――壁に残された伝言』 井上恭介


読破っ!!
『ヒロシマ――壁に残された伝言』 井上恭介(NHK広島)
発行:2003年7月 集英社新書
難易度:★★
資料収集度:★★
理解度:★☆☆
個人的評価:★★★
ページ数:185ペー



【本のテーマ】(表紙裏より抜粋)
広島市の小学校の剥げ落ちた壁の奥に、白墨で書かれた伝言が見つかった。それはかつて原爆資料館にも展示されていた菊池俊吉氏撮影の「被爆の伝言」写真の、その原物が、20世紀の末になって再び人々の前に現れた奇跡の瞬間だった。著者はNHK広島放送局のディレクターとして取材を始める。


【目次】
序章 重なった奇跡
第一章 写真家が見たヒロシマ
第二章 幻の姉に出会えた
第三章 児童を探した教師たち
第四章 新発見、迷路をたどるように
第五章 親と子
第六章 伝言との対面
第七章 そして残されたもの
終章 テロと戦争の時代に
あとがき――三年後の出来事

【概要】

序章 重なった奇跡 では、伝言が発見された経緯が書かれていた。
昭和20年の被爆直後、袋町国民学校は被災地となり多くの被災者が集まった。爆発により、校舎の壁は煤だらけになり、その上にチョークを使って沢山の人が伝言を書いていた。その2年後の昭和22年、閉鎖された避難所を再度小学校として利用するために、壁の煤が洗い流され、その上から壁が塗られた。そして、さらに長い歳月を経て、平成11年春、小学校取り壊しの際に、壁の下から黒い文字が現れた。それは、洗い流された際にも残っていたチョークの下にこびりついていた煤であり、当時の伝言が約50年の時を経て再び現れた。

第一章 写真家が見たヒロシマ では、菊池俊吉氏について書かれていた。
 著者がドキュメンタリー映像を作るために、軍の委託カメラマン・菊池俊吉氏が被爆直後に撮影した「被爆の伝言」の資料を集め、その写真の中にも写っている伝言と発見された伝言を照合させる作業から始まった。

第二章 幻の姉に出会えた では、伝言に書かれた「西京節子」さんという人物に関する取材が書かれていた。
名前と住所などを頼りに、「伝言」に書かれた尋ね人「西京節子」さんの親戚を探し当てた。伝言を書いた人は叔父の浅雄さん、取材に応じたのは浅雄さんの妻と節子さんの妹であった。
浅雄さんの妻は、浅雄さんが親戚である節子さんを必死に探していることは知っていたけれども、
実際に伝言を残しているということを知り、夫を見直した。と述べ、妹は原発後に生まれているので、姉を見たことがないけれども、母を通して感じていた姉に、やっと出会うことができた、と述べていた。

第三章 児童を探した教師たち では、伝言に書かれた小学校の先生に関する取材が書かれていた。
交替で夏休みをとっていて被爆地にいなかった先生、「建物疎開」(=町が空襲を受けた時延焼を防ぐため、木造家屋が密集している場所に防火帯を設けるための家屋の取り壊し作業)に生徒を引き連れていっていた先生、被爆後小学校に向かい、先生が先生に向け学生の面倒の引き継ぎを頼む伝言を残していた。その先生と学生を取材することができ、当時の話を聞き、また、当時の学生は先生が自分のことを気に掛けていてくれたことを知る。

第四章 新発見、迷路をたどるように
 著者は解体作業を取材し、判読できた文字を放送することで、関係者からの情報提供を呼びかけた。その結果、自分の親戚であると名乗り出て来る視聴者が何人かいた。

第五章 親と子
 伝言を書いた人の子供に連絡がつきインタビューを行った記録を綴っていた。幼くして母を原爆の後遺症で亡くしたある女性は、伝言の文字を見て、覚えていないけれども母の字が懐かしい。と述べた。

第六章 伝言との対面
 インタビューに応えたくれた人に実際の伝言を見に来てもらい、その様子が書かれていた。

第七章 そして残されたもの
 伝言板の一部は小学校の横に平和資料館として残され、一部は切り取られ、別の場所にほかんされることになり、その作業について述べれていた。

終章 テロと戦争の時代に
アメリカの9.11テロ事件後、広島の人々が被災者を励ます活動を行ったことなどが書かれていた。

あとがき――三年後の出来事
 では、この本を執筆し終わるあたりに投稿されたある人の体験記について述べられていた。

【感想】
 重かったー。けど、当時のことがずっとリアルに書いてあるという重さではなく、現代からさかのぼってその人から話を聞く、という視点が歴史を感じさせられるものでした。

 書かれた伝言が最初、鈴江さんか鈴枝さんか分からなくて、しかも複数の親戚が名乗り出ていて、その際に、そのうちの一人が、伝言が見つかったのは嬉しいけど、(最終的に死んでしまったから)被爆後長い時間苦しい思いをして小学校の方まで行っていたのかと思うと苦しい。と述べ、結局別の人が書いたとあったと分かった際には、良かった。と述べているのが、亡くなった人に対してその亡くなり方までも思っている、家族愛を感じました。

 最後の後書きの体験記では、直接的な被害には合わなかったけど、家族を探しに来て、その際には、顔見知りばっかりであったが、誰がいたか覚えていない。と語られており、その理由が、「一言も話さなかったから」というのが、すごくリアルに感じられました。被害を受け、けがをした人は避難所でうめき声をあげていたりするのは想像ができるのですが、その反面、家族を探しに来た人々は、言葉を発しないという「沈黙」のリアルがあった。ということを知らされました。

 全編通して、家族関係がいっぱいでてきて、読みながら横に家系図書かないと関係があんまりわからなくて、その上、誰が亡くなって、誰が伝言書いて、誰がインタビューに答えているのか。というのが、分かりにくかったです。

 しかし、被爆から50年近くたった平成の時代に取り壊しの際に伝言が再び発見され、それをきっかけに、関係者に取材をし、記憶をたどる。という一連の出来事には大きな意味があると考えました。原爆の際の様子は想像しきれない部分が多くありますが、誰かから誰かに伝言を残したい、という部分はすぐ理解することができるので、入りこみやすいドキュメンタリーでした。

2014年1月26日日曜日

読書マラソン59/100『県庁おもてなし課』 有川浩


読破っ!!
『県庁おもてなし課』 有川浩(作家)
発行:2011年3月 角川書店
難易度:★
感動度:★★
共感度:★★
個人的評価:★★
ページ数:461ページ



【本の紹介】
高知県県庁に実在する「おもてなし課」、そこで掛水は高知県を観光地として広めるために苦戦していた。ある日、観光特使として協力を仰いだ流行の作家・吉門から、そのやり方、将来性に対して厳しいダメ出しをされる。それにめげずに、高知県をより良くするために、彼からアドバイスを聞き出し、その結果、大規模なツーリズム計画が動き出す・・・。


【目次】
ことのはじまり
1.おもてなし課、発足。――グダグダ。
2.『パンダ誘致論者』、招聘――なるか?
3.高知レジャーランド化構想、発動。
4.順風満帆、七難八苦。
5.あがけ、おもてなし課。――ジタバタ。
6.おもてなし課は羽ばたく――か?
あとがき
参考文献
巻末特別企画「本」から起こす地方活性・観光振興!

【感想】

ネタバレ注意!!
 保安的で民間感覚が欠如し、手際も悪く、そんな悪いイメージを凝縮したような公務員的性格であった「おもてなし課」が、観光特使として協力を仰いだ吉門の助言、一般人からとして雇った多紀の助言により、良い方向に成長してゆく。さらには、かつて高知県内に新設される動物園に「パンダ誘致論」を提唱し、公務員の世界から追放された清遠に頼み込み、コンサルティング、プロデューサー的立場で、ツーリズムの本質について教えてもらう。

 「地元」、「おもてなし」、「ツーリズム」、という、最近注目されているテーマで高知県の観光業再生物語でした。最初と最後の主人公・掛水の成長っぷりはフィクションとはいえ、痛快でした。
ストーリーの合間に、恋模様や、家族愛についても描かれており、わりと分厚い割にさらっと読めました。物語の比重的にはおもてなし課:恋愛:家族=5:3:2という感じでした。それぞれの登場人物の心情の変化や掛け合いが沢山描かれている本で、文章表現とかが、特に女性には人気だろうな。と思える物語・表現でした。
 本の中では、いわゆる「田舎」を観光地として誘致するには、都市に比べ「便利さ」では勝てない上に、予算にも制限があるので、今ある「田舎らしさ」を前面に押し出し、民間が行っている観光業を「有機的に結合」する。という方法を取り、その実践の過程が描かれていました。
 高知県は山も川も海もアウトドアのすべてが揃っており、その地質的特性を活かし高知県全体を「レジャーランド化」する。という計画は、インパクトがあり、納得のいくものでした。「田舎らしさ」を前面に押すためには、まず、現地の「おもてなし課」の職員が、視点をずらして、日常を客観的に見る。ということが必要だ。という話も、説得力がありました。
 清遠が最終的にはプロジェクトから外されてしまい、残された「おもてなし課」が主体的に完成へと持っていくという話では、清遠から教わったノウハウや考え方をしっかりと受け継ごうとする掛水・多紀の姿と、それをそっと見守る吉門の姿に、胸が熱くなりました。
 ただ、気になる点としては、清遠の妻の描かれ方があまりにも悪役的すぎる、という点でした。
最後まで登場しなかったし、その方が分かりやすくて良かったけど、物語の中で唯一の悪者、という感じ描かれているのが少し気になりました。
 後書きでは、物語の冒頭の観光特使のエピソードは実際にあったもので、それがきっかけでこの物語を書くことになった。というのが、おもしろいなぁ。と思いました。「パンダ誘致論」も実在かと思いきや、それは著者の父がお酒を飲みつつテレビのニュースで動物園を新設するニュースを見て言ったことをもとにしている。と述べ、父が清遠のモデルにもなっていると述べられていました。
本の中にも何度も出てきた「民間感覚」というのを体現しているのが、著者の父であり、清遠であったのだと思い、フィクションでありながらも、現実をモデルにしてつくられている物語なんだなぁ。と思いました。
 現実世界では、もっと複雑なことが多いのかもしれないなぁ、と思いつつも、公務員の堅い世界にぶつかったり、厳しく指摘したり、されたりする様子や過程は、読者としても、どうしたらよいのか、考えながら読むのが面白かったです。

2014年1月25日土曜日

読書マラソン58/100『ネット大国中国』 遠藤誉

読破っ!!
『ネット大国中国』 遠藤誉 (理学博士)
発行:2011年4月 岩波新書
難易度:★★★
資料収集度:★★
理解度:★☆☆
個人的評価:★★★
ページ数:219ペー



【本のテーマ】
ネット市民=网名によるネット言論は民主化を導くのか。


【キーワード】
80后、网名、防火长城、人肉搜索、五毛党、翻墙、被自杀、「被和谐了」、河蟹三个戴表、権利意識、08憲章、意见领袖、

【目次】
はじめに
第一章 「グーグル中国」撤退騒動は何を語るか
第二章 ネット言論はどのような力を持っているのか
第三章 ネット検閲と世論誘導――“官”の政策
第四章 知恵とパロディで抵抗する網民たち――“民”の対応
第五章 若者とネット空間――権利意識に目覚める80后90后
第六章 ネット言論は中国をどこに導くのか
あとがき

【概要】
第一章 「グーグル中国」撤退騒動は何を語るか
グーグルが一度は中国に進出したが、情報規制のことで問題になり、結局撤退し、香港に拠点におくようになったことになったという一連の事件について書いてあった。

第二章 ネット言論はどのような力を持っているのか
网民(ネット民)はすでに若者を中心として広がり、4.5億人を超えている。孙志刚の事件に代表されるように、これまで見過ごされてきていた政府の腐敗や不正をネット上で追求し、実際に政府が動かざるを得なくなる。という事態が生まれ始めた。そこには、農民たちの「権利意識」の高まりがみられる。また、ネット上のオピニオンリーダーである「意见领袖」がそれらネット民の動きを決める鍵となる、という報告を受けた政府は、正確な「意见领袖」によってネット民を正しく導くことが大切であると述べた。

第三章 ネット検閲と世論誘導――“官”の政策
「グレートファイヤーウォール」は、有害情報から中国を守るために作られ、異民族の侵入から中国を守った万里の長城になぞらえて「防火长城」と呼ばれている。それにより敏感な政治内容や、特定のキーワードにフィルタリングをかけ、監視している。この事業は、「金盾工程」という「公安通信のネットワーク化と電子情報化システムを構築する工程」の一環である。また、ネット上の世論を導くために、「五毛党」という人員を雇い、政府に有利になるような発言をネット上でさせる。ということを行い、世論を操作しようとしている。また、商業サイトを点数制で管理し、検閲に引っかかると点数を減点し、点数が無くなると、サイトを閉鎖させる。という制度を作った。

第四章 知恵とパロディで抵抗する網民たち
グレートファイヤーウォールを潜り抜ける「翻墙」という行為がソフトを用いて行われ、海外のニュースを見たり、制限されたサイトを閲覧している。ある調査によると、彼らの内の約半数が、「政府は、ブラックボックス的な操作をするべきではない」と考えている。
また、2009年の今年の漢字に「被」が選ばれ、李国福の事件を代表として、「被自殺」という言葉が流行した。監獄の中で他殺されたものを自殺したと偽装したことを表す。権威のせいで、行動や事実が操作されていることに対する反感を表し、権利意識の高まりの現れでもある。「被就職」は、就職できない大学生に対し、大学が就職率を高めるために、偽の就職証明書を作成し、就職したということにさせられている現状を表す言葉である。胡錦濤政権が「和諧」をスローガンとして提唱しているのをパロディにして、ネット検閲により規制されることを「被和諧」(=和諧される)と表現しはじめ、さらには、和諧のピンインが河蟹と同じであるため、ネット上に「3つの腕時計をした蟹の写真」が多くアップされた。3つの腕時計は、「三个戴表」と書き、それは江沢民が提唱した「三つの代表」をパロディにしている。他にも同じピンインを用いて別の意味を表す単語として、「草泥马」などの罵しり言葉などがある。

第五章 若者とネット空間――権利意識に目覚める80后90后
改革開放・一人っ子政策がともに1978年から始まっているため、1980年を一つの区切りとする考えから、80后(1980年代以降生まれ)、90后という言葉が生まれ、彼ら80后90 后はネット民の63%を占めている。彼らは一人っ子政策により、親から大事に育てられたため、権利意識が高く、アニメや漫画への興味・関心(主に日本のもの)が高い。政府の「二一一工程」(21世紀までに100の重点大学(学力高い大学)を設定し、国家予算を投入する)により、各大学が定員数を増やしたことにより、大学生が急増し、その結果就職難につながり、多くの「蟻族」(大卒後、仕事がなく、アパートで共同生活をしている)を生み出した。そんな彼らは、ネット上の意见领袖(オピニオンリーダー)の発言に流されやすく、ネットが燃え上がることがあり、実際にデモなどの行動に移ることもある。

第六章 ネット言論は中国をどこに導くのか
中国の民主化を提唱した刘晓波の「08憲章」は、海外からはノーベル平和賞を与えられたが、中国はこれを取締り、彼を服役させ、授賞式にも行かせなかった。逮捕されるかされないかの線引きは、背後に「国際敵対勢力」があるかどうかで、刘晓波は海外メディアの目につくような形で発表したから処罰された。ネットは国民をより「多元化(価値観を多様化)」させ、自己組織化させる効果があり、「半直接民主」「参加型民主」を実現するが、政府はそれによって完全な「民主主義」にすることは許さない。統制の元での民主という「中国式民主」を今後も模索し、「特色ある社会主義国家」として存在していくのであろう。

【感想】
中国の国の在り方を考えさせられる本でした。
ネットの登場・普及により、政府の不正・腐敗が暴かれ、より公正になっていく流れは、とても良いものであると思います。しかし、そのことがつまり、完全な「民主主義」に結び付くのではなく、政府が管理し、統制し、規制する。というスタンスを変えないのが、中国があくまで社会主義国家であり続けようとしている姿が見えました。
規制が強すぎると、それは専制政治になってしまいますが、規制も何もない野放しの民主主義は、正しい方向に導かない。という前提に立っているものだと思います。
日本とは人数の桁も違うし、考え方も少し違うので、この前提がどこまで妥当なのかは分かりませんが、「中国式民主主義」、「特色ある社会主義国」という言葉に見られるように、民主主義と社会主義を融合させて生まれるものを、今後中国の未来に見ることができるのかもしれない。と思うようになりました。

2014年1月24日金曜日

読書マラソン57/100『ただトモ夫婦のリアル』 牛窪恵


読破っ!!
『ただトモ夫婦のリアル』 牛窪恵(マーケティングライター)
発行:2010年9月 日経プレミアシリーズ
難易度:★★
資料収集度:★★
理解度:★★
個人的評価:★
ページ数:235ページ


【本のテーマ】(裏表紙より抜粋)
草食系イクメン×おひとり妻=ただトモ夫婦…!?人知れず増殖する新型夫婦の生態や価値観、彼らの周辺に発生する消費市場を、人気のマーケティングライターが徹底解剖。新しい夫婦像や家族像、彼らと企業、メディア、コミュニティの新たなかかわりなどを探る。

【キーワード】
アイラブ自分世代、ガールズ・ママ、おひとり妻、DINKS、反バブル、
イエラブ族、保温家族、3低、見栄消費から幻想消費へ、平等志向とシェア欲求、
インビジブルファミリー、親孝行旅行、パパ・クォーター制度、

【目次】
はじめに
第一章 ママになっても「おひとり妻」したい!
第二章 草食系イクメン、スカートをはく?
第三章 わさびをケチって、4万円のベーカリーを買う理由
第四章 夫(妻)より親、の「親ラブ族」
第五章 これからも「ただトモ夫婦」でいいですか?
おわりに
データーの出所一覧

【概要】
はじめにでは、近年の夫婦の価値観の変化について述べていた。
夫婦の関係について、インタビュー調査をする中で、かつての夫婦関係とは違った、独身時代の自由さ、私的領域を確保しながらも、ルームシェアの友達のような「さらっとした」関係になっている今の世代の夫婦を「ただの友達のような夫婦=ただトモ夫婦」と名付け、分析していくと述べていた。

第一章 ママになっても「おひとり妻」したい!では、ただトモ夫婦の妻に焦点を当て分析していた。
ただトモ妻は、夫と束縛し合わず、お互いが「空気のような存在」であることを望み、ママ友との交流を重視し、母として、妻として、女として、といういくつかの「タグ」をうまく使い分け、曖昧な自分を生きながら、趣味や消費活動により、自分の可能性をさらに引き出そうとしている。バブル世代の価値観が自分をしっかり持つ「アイラブ自分世代」であり、目立つことを好むのに対し、ただトモ夫婦世代は、空気を読み、ママ友の中で「浮かない」ことを重視する特徴がある。その理由が、ママ友ネットワークが大切な情報収集源であり、相互扶助のネットワークであるからである。しかし、だからと言って完全に心を許しているとも言えず、受験などの競争においてはライバルであるため、手の内を明かさない事が多い。また、経済状況なども、ママ友の中で比較的リッチであると妬まれるてしまうことがあるため、そう思われないように気を遣い合っている。
不況の原因もあり、休日を家で家族過ごすことが増え、意識的に家族の団らんを過ごすようになった状況を、博報堂生活総研は「保温家族」と名付け、「家族ならではの心地よさを意識的に保持しようとする日本の家族」と定義づけた。家族の時間も大事にしつつ、自分の個人の時間も大事にする。というのがただトモ夫婦の理想である。
ただトモ妻は結婚して子供が出来ても7割は仕事を止めずに続け、稼いだお金を自分のためにも使う。高学歴、高収入、高身長、の3高から、低リスク、低依存、低姿勢の3低を望むように変化してきている。また、結婚自体に憧れを抱く人は減り、「片づけたい」という意識を持っている人が多い。夫に対する期待値も高くなく、争いごとを避け、妥協し合う関係を築く。

第二章 草食系イクメン、スカートをはく? では、ただトモ夫婦の夫に焦点を当て分析していた。
会社では家庭との両立を前提に無理をしすぎず、おしゃれにも気をつかう人が多い。子作り以外の夜の営みは「無駄」であると感じる傾向が高く、子育てや家事にも積極的に参加しようとする意識が高い。子供と一緒になって自分自身も楽しみ、習い事を一緒にしたりもする。しかし、子育てや家事に関してはまだ「ロールモデル」が少なく、どうしたらよいのか分からない現状がある。

第三章 わさびをケチって、4万円のベーカリーを買う理由
バブル世代は対立があった場合徹底的に抗戦する「ハムラビ系(目には目を、歯には歯を)」であるが、ただトモ世代は「ガンジー系(非暴力、不服従)」暗に抵抗したり、条件を突き付けたりする。
Wiiやルンバなどの消費が、家族の「ゆるいつながり」を生み出している。他にも、ホームベーカリーが売れたりしている現象も根本には「家族幻想」(家族とこんな過ごし方をしてみたい、)という幻想消費が存在している。「楽ができる」商品では売れにくいが「家族の健康、幸せのため」であると広告すると売れやすくなる。(例:食器洗浄機、ルンバ)

第四章 夫(妻)より親、の「親ラブ族」
ただトモ夫婦の配偶者への愛は3年ほどで失われることが多く、配偶者よりも、自分の親とのつながりを大切にし、最終的に頼る傾向がある。結婚後、実家から30分以内の距離に住む夫婦が65%を超えており、頻繁に子育ての手助けをしてもらっている。結婚後関係がうまくいかなかった場合、子供を連れて実家に帰ることを勧める親もいる。結婚後3組に1組が離婚する時代であり、出産時に「離婚」を意識する妻が半数近くいる。それは、夫が妻に対する「共感の姿勢」が欠けていること。が理由としてあげられ、正しい正解を与えるのではなく、話を聞き、共感することで不満が解消される。と述べられていた。

第五章 これからも「ただトモ夫婦」でいいですか?
親の実家の近くに住み子育て援助をしてもらう「インビジブル・ファミリー」(見えない家族)が、精神的に結びつき、それが2世代、3世代と続いていき、2015年頃にはそれが一般化する。と述べていた。ただトモ夫婦世代は親を大切にし、積極的に子育てに参加させ、親孝行として、旅行に連れて行ったりする。(しかし、費用は親もちが多い)
夫は、子育てに参加したくても、仕事が忙しくて無理であったり、やりかたを教えてくれる機会が少なくて出来ないことが多い。
小さい頃から、「男女平等、男も家事・子育てをし、女も働けるようにするべき」という価値観で育てられてきたが、実際結婚し、子供を産んでみると、女性は育休をとると降格されたり、男性は育休をとることが難しいなど、制度面で整っておらず、ギャップを感じてしまうことが多い。日本の育休取得率は、女性は90.6%であるが、男性は1.23%しかない。国の目標では、2015年頃までに男性の育休を10%にまでするとしている。職場で育休する人を応援する雰囲気づくりをすることが大切である。

【感想】
面白かった!牛窪さんの本は、「今」のことがインタビュー調査と、アンケート調査等のデータをもとに書かれていて、リアルに感じることができました。冷蔵庫の中を夫婦でテリトリーを作って使っているとか、ルンバを買ったおかげで夫婦の仲が良くなったとか、色んなエピソードが、「今」を感じさせてくれました。
全体に共通する部分としては、今のただトモ夫婦世代は性別によって「かくあるべし」という意識が低く、男性も家事・子育てをし、女性も働くのを良しとしていますが、実際には制度がその意識においついておらず、無理が生じてしまい、そこを、実家の親であったり、ママ友のサポートを得て、
子育てを行っている。という印象を受けました。

今の現状では、女性の方が、働くことを良しとされながら、依然として家事子育ても女性中心でしなければならない状態で、すごく「タフさ」が求められるのだろうな。と思いました。
情報・相互扶助ネットワークである「ママ友」に対する「パパ友」も存在はしているけれども、
まだそこまで普及しておらず、制度面でも、意識面でもまだ完全な男女平等には至っていないと実感させられました。また、「イクメン」という言葉が認知されてきていても、具体的な「ロールモデル」が職場にもまだ少ない状況なのだと理解しました。

統計データ集

読書マラソン56/100『教師格差――ダメ教師はなぜ増えるのか』 尾木直樹


読破っ!!
『教師格差――ダメ教師はなぜ増えるのか』 尾木直樹(教育評論家)
発行:2007年6月 角川ONEテーマ21
難易度:★★★
資料収集度:★★☆☆
理解度:★★☆☆
個人的評価:★
ページ数:221ページ



【本のテーマ】
教師の現場の現状を調査などから明らかにし、その原因、対策を述べる。

【キーワード】
2007年問題、モンスターペアレンツ、校務分掌、目標管理型評価システム、
教育基本法改正、教育再生会議、習熟度別学習

【目次】
序章 病める教師――教育の現場から
 1.「心の病」と教師  2.教師が病んでしまう理由
第一章 教師力は落ちたのか
 1.「問題教師」はどこにでもいる 2.「学校の常識」は非常識か
 3.ダメ教師の現実 4.教師格差拡大の危機
第二章 「逆風」にさらされる教師
 1.教師と親の終わりなき闘い 2.時間との闘い!教育委員会との闘い!
 3.子供を教師から奪う改正教育基本法
第三章 教師の条件
 1.教師という仕事 2.教師像の現実と理想 3.何が教師に求められているのか
第四章 「教育再生論議」に見る、教師の未来
 1.動き始めてしまった!教育再生会議 2.「教員免許更新制」の問題点
 3.「いじめ問題」への処方箋 4.「学級崩壊」「ゆとり教育」への誤解を解く鍵
第五章 「再生教育」への提言
 1.ビジョンが見えない「教育改革」の罪 2.現実に押し寄せる「教育格差」
 3.「教育再生」は必ずできる
おわりに

【概要】
序章 病める教師――教育の現場から では、教師の現場の現状を述べていた。
2005年度調査によると、教師の精神性疾患による求職者は1995年の1.9倍の4178人であった。
東京都教育委員会は教師に『こころにも休み時間を』と書かれた、「こころに風を入れる7つのポイント」が書かれたカードを配布している。と述べていた。
著者のアンケート調査の自由記述回答の一例から、教師がどのようなことに悩んでいるのかが描かれていた。評価主義や形式主義によって提出資料にかける時間が増え、子供にかける時間が足りない。と述べられていた。
また、2005年の労働科学研究所の調査によると、教師2432人中、45.6%が体調が不調、非常に不調と答えていた。(全職業においては15.7%がそう答えていた。)

第一章 教師力は落ちたのか
報道でとりあげられた問題教師について述べ、また教師という世界が閉鎖的な特徴を持っていることを述べ、さらには「生活科」や「総合学習」など勉強の自由度合いが高まった際に何をしたらよいか分からない、という教師の声を描いていた。その結果、教師の権威がかつてのようではなくなり、教え方を塾講師から学んだりしている現状を述べ、その一方で、「2007年問題」と言われる10年間の大量退職時代である現状を述べていた。

第二章 「逆風」にさらされる教師
モンスターペアレンツ(時には両親ともに)について述べ、勤務時間の長さについて述べていた。
文部科学省によると、2006年7月の小学校教諭の一日勤務時間は10時間37分、残業時間が1時間47分であった。2005年労働科学研究所によると、小学校で17.9%、中学校で22.5%の教諭が「過労死基準」の月80時間を超えている。
その理由として、文部科学省を始めとする機関からの生徒を対象にした「調査」資料への回答・報告が大量にあること、学校内の役割分担「校務分掌」(主任・会計・校務運営・・・50以上ある)の兼任、などの理由があげられ、さらに「評価システム」により、相互評価したものが給与に関係するため、横の連携を取りづらくなっている。と述べられていた。
2006年12月には『教育基本法』が改正され、教育が政治から「独立している」という要素が薄くなる記述となってしまった。と述べられていた。

第三章 教師の条件 
教師と塾の講師は根本的に異なっており、塾の講師は「学力の向上」に特化しているが、学校の教師はそれ以外の「人間性」に対しても教育する役割を担っている。アメリカやフランスでは教師は学校の教師は授業に特化しているのに対して、日本の教師は学校という閉鎖空間で、「校務分掌」という役割分担をしている。そのようすは、社会の縮図であり、そのような「学校力」を高めることで、教師の姿を見て生徒がより「人間力」を学び取ることができる。と述べていた。
また、校長が求める理想の教師像が「授業がわかりやすい」を最も重視するのに対し、保護者と子供は「話を聞いてくれる」など、授業以外の面での生徒の心理的な理解を重視している。
また、目標管理型評価システムは、自分で目標を設定し、同僚からの評価をもとに給与を決定するシステムであり、それは、市場主義の競争を取り入れたものであるが、現場の声として、校長は効果的であると述べている一方、現場の教師からの反応はあまりよくない。その理由が、評価理由が開示されていないことがあげられ、評価内容を開示する声が上がっていることを調査から述べていた。

第四章 「教育再生論議」に見る、教師の未来
2006年10月から、安倍内閣のもとで「教育再生会議」が立ち上がった。そこで様々な議論が教育専門家ではない様々な知識人の視点から議論された。いじめ問題が深刻化してからは、いじめ問題への対応に重点を置いて議論している。2007年1月にはゆとり教育の見直しが提言された。また、免許更新制については、問題教師を追放する目的であると考えられるが、「問題教師」=「指導力不足の教師」という等式は成り立たない。と述べていた。いじめ問題については、目標管理型評価システムの存在により、評価を下げないために隠蔽する、という事態が発生している。と述べていた。それに対する教育再生会議の提言も、「いじめを傍観する者も加害者とみなす」という行き過ぎた提言をしている。と指摘していた。
教師は会社と違い、同僚間での協力・連帯感が必要不可欠である。と述べ、目標管理型評価システムの欠点を指摘していた。

第五章 「再生教育」への提言
「学力向上」に固執するあまりに、「生きる力」というものが軽視されてしまう恐れがある。
著者が行ったアンケート調査によると、親が子供に一番求めているのは「学力の向上」よりも「人の痛みや苦しみを理解する」ことであった。教育格差の存在、習熟度別学習のデメリットについて述べていた。教育に国がかけるお金は年々減少しており、先進国の中では最下位である。と述べ、教育は国家をどのようなものにしたいのか、というヴィジョンに向けての投資であり、最終的にはそれが社会に還元されるという意識を持ち、位置づけをもっと高めるべきである。と指摘していた。
具体的には、教師の数を増やし、少人数制のクラス編成を行い、生徒の意見をより取り入れた教育を行うことを提言していた。

【感想】
教育の現状について、現場のリアルな声を聞くことができる本でした。
教師がなぜ忙しいのか、また、評価システムがいじめの隠蔽に繋がっている、ということ、
教育基本法が改正され、教育が独立したもの、という意味合いが薄くなったことなどを知りました。
日本の教育制度は、教師はただ教えるだけではだめ、というのが独特なのだそうで、
それがよいところでもあり、悪いところでもあるのかな。と思いました。

筆者が最後に提案していた、教師の人数を増やして、少人数制のクラスにする。
という提案には、賛成です。現実可能なのかどうかは分かりませんが、
教育への支出を増やすことが出来たら、ぜひそうしてほしいと思います。
逆にそうでないと、教師はクラスの中でおとなしくしている優等生よりも、手のかかる生徒にばかり時間を使い指導をし、クラスに埋没してしまった生徒の、自尊心や自主性を育めないと思います。

これまで、教えてきてもらっていた教師に対して(特に中学の)あまり良い印象を持っていませんでしたが、きっと自分の知らないところで、仕事に追われ、大変な思いをしていたんだろうな。と想像しました。「良い教育をしたい」という思いがあっても、システムがそうさせてくれない、ということもあったのかな。と思いました。でもやっぱり、自分が受けてきた教育(特に中学)を振り返ると、「事なかれ形式主義」で、おとなしく優等生にしていたら、その存在感を感じてもらえているのか分からなくなるくらい、表面的な対応しかしてくれなかったな。と思い出します。
小学校の教育は、割と連絡帳で「交換ノート」みたいに、会話をさせてくれたり、総合学習で地元をテーマにした学習をしたり、いろいろと工夫してくれていたのを思い出しました。
教育というのは、受けている時は、それがどういう効果があるのか意識することもなく、
ただ受けるしかないけど、時間がたってふと振り返った時に、なんとなく心に残っていて、
こういう能力を育もうとしてくれていたのか、と気づいて、その手間に感謝したくなるようなものだと思いました。交換ノートとか、作文とか、一人ずつチェックするの大変だっただろうな。

これからの教育を考えても、対面式で一人一人の生徒と向き合う、というのは、
教師の数を増やさない限り理想論でしかなくて、現実的な対応としては、連絡帳でのやりとりとか、
そういう書面上での生徒とのやりとりが中心になってしまうのだと思います。
それがコミュニケーションの能力の低下の原因につながっている。と考えたりしますが、
教育というのは、「比較」することができないので、因果関係を論理的に説明しにくいし、
何が良くて何が悪いかというのも結論付けにくいものなのだと思います。

読みながら、教師の知り合いのことを思い出しました。
教師の皆さん、どうか体を壊さずに続けてください。
皆さんの気持ちが生徒に届きますように。
そして、日本の教育がより良いものになりますように。

2014年1月23日木曜日

読書マラソン55/100『〈自己発見〉の心理学』 国分康孝


読破っ!!
『〈自己発見〉の心理学』 国分康孝(哲学博士・東京成徳大学教授)
発行:2002年1月 講談社現代新書
難易度:★★
資料収集度:★☆☆
理解度:★★☆☆
個人的評価:★★
ページ数:196ページ


【本のテーマ】
哲学とは生き方である。現象と結果を結び付ける捉え方(心の中の文章記述・ビリーフ)によって、
不満を解消することができる。具体例を通して考える実践的な心理学。

【キーワード】
文章記述、ABC理論、ビリーフ、ラショナル・ビリーフ、社会化

【目次】
まえがき
第一章 人生哲学
 哲学の必要性、哲学の任務、倫理療法の人生哲学
第二章 社会生活におけるビリーフ
 人を拒否するべきではない、フラストレーションはよくないものである、
 いい線を行かねばならぬ、人は私の欲する通り行動すべきである
第三章 学習生活におけるビリーフ
 ハウツーよりは倫理や原理や理念を学ぶべきである、自主性・自発性を尊重するべきである
 暗記式の勉強はすべきではない、頭の悪い人間は人生で高望みすべきではない
第四章 家庭生活におけるビリーフ
 家庭は憩いの港たるべき、長男夫婦は親と同居すべきである、
 配偶者は優しくなければならない、嫁は姑の娘である
第五章 職業生活におけるビリーフ
 転職すべきではない、ひぼしにされた人間はダメ人間である
 いばるべきではない、人に認められようとすべきではない
あとがき

【概要】
第一章では、哲学とは生き方であり、様々な価値観があると述べていた。
その中でも、ABC理論(A=Activating event B=Belief C=Consequence)といって、出来事(A)によって感情の動きという結果(C)が出るその間には、そこにどのような文章記述・ビリーフ(B)を理解するか。が重要なファクターであると述べていた。ビリーフには論理的なラショナル・ビリーフと非論理的なイラショナル・ビリーフがあり、ラショナルビリーフの条件は、1事実に基づいているか、2論理的必然性はあるか、3人を幸せにするかという3点である。Bのビリーフを変えることでCの結果としての感情をより不快から遠ざけられるが、時には、根本であるAから変化させないとならない時もある。そのためには自問自答と実際体験をすることが大切である。

第二章では、社会において信じられがちなビリーフの具体例をあげていた。
「人を拒否するべきではない、フラストレーションはよくないものである、いい線を行かねばならぬ、人は私の欲する通り行動すべきである」このようなビリーフ(B)を持つことによって、上手くいかない際に結果(C)として不快感を感じてしまう。だから、「~すべき」ではなく、「~なほうが好ましい、越したことはない」程度に捉え、拒否もフラストレーションも、それらを通して、自己を再発見し、意思表示することができる。相手が自分の思う通りに動かない場合は、「なおそうとせず、わかろうとせよ」という著者の師の言葉のように、考えを押し付けるのではなく、相手の立場に立って考えることが大切である。

第三章では、学習において信じられがちなビリーフの具体例をあげていた。
「ハウツーよりは倫理や原理や理念を学ぶべきである、自主性・自発性を尊重するべきである、暗記式の勉強はすべきではない、頭の悪い人間は人生で高望みすべきではない」このようなビリーフ(B)を持つことによって、上手くいかない際に結果(C)として不快感を感じてしまう。真に物事を考えようとすれば、言葉が必要であり、その基礎部分を理解するためには、「暗記」は必要であるし、人間としての基礎部分を理解していないのに、それを「自由教育」の名のもとに放任するのは、社会化の発展を阻害することであり、その意味で、相手のことを思ったうえであるならば、禁止・強制も否定されるべきではない。と述べていた。頭が悪いと自己レッテル張りしてしまうことについても、一人の人間の中に分野によって得意不得意があるということに目を向け、悪い部分を一般化してしまうことで、事実を歪曲化し、認識を誤ってしまっている。と述べていた。

第四章では、家庭において信じられがちなビリーフの具体例をあげていた。
「家庭は憩いの港たるべき、長男夫婦は親と同居すべきである、配偶者は優しくなければならない、嫁は姑の娘である」このようなビリーフ(B)を持つことによって、上手くいかない際に結果(C)として不快感を感じてしまう。家庭内にも役割期待が存在し、お互いに役割を果たす関係であれば、感情調和がとれていなくても家庭は成り立つ。長男夫婦、配偶者の件は、時代の変化に気付き、認識を改める必要がある。嫁は姑の娘である、というのは、他人である、という認識を持ちつつも共同生活をするうちに、情を持つようになる。と述べていた。

第五章では、職業に対して信じられがちなビリーフの具体例をあげていた。
「転職すべきではない、ひぼしにされた人間はダメ人間である、いばるべきではない、人に認められようとすべきではない」このようなビリーフ(B)を持つことによって、上手くいかない際に結果(C)として不快感を感じてしまう。「いばる」ということは、役割をきちんと引き受ける、という側面があり、ただ単に権威的に威張るのはよくないが、逆に、威張らなさすぎるのも、役割責任を果たせなくなってしまうことになる。
 
【感想】
著者の人生からの教訓に心理学の知識を加えた本、という感じでした。
読んでいると、ふむふむ。と思い、感覚的にはなんとなく分かっていることを言葉にして論理的に説明している感じでした。本の内容全書に共通して言えることは、「決めつけはよくない」ということで、「これが良い、あれは悪い」という論理的根拠のないままに決めつけてしまうのは良くない、として、その「論理的根拠」となりうるには、1事実に基づいているか、2論理的必然性はあるか、3人を幸せにするかという3点である。と述べていて、なるほど。と思いました。
 自由を求める前提として、基礎をきちんと理解しているべきである。という「守破離」の考え方や、役割を果たすことで組織が潤滑に回る。という考え方、人間は能力に凸凹があり、部分だけをみて全体と思ってはならない。など、ほかの本でも目にしたような考え方も出てきていました。
 なるほど。と思うことが書いてあったのはいいのですが、過去からの教訓を論理立てて話しているに過ぎず、全く新しい教示を得られる、というものでもありませんでした。ゼミの先生のアドバイスを聞いている。という感覚になる本でした。新しい発見は多くなくても、自分の考え方に論拠性を与えてくれるような本でした。

2014年1月22日水曜日

読書マラソン54/100『パレード』 吉田修一


読破っ!!
『パレード』 吉田修一(作家)
発行:2004年2月 幻冬舎文庫
難易度:★
感動度:★★
共感度:★★
個人的評価:★★
ページ数:309ページ



【本の紹介】(裏表紙より引用)
都内の2LDKマンションに暮らす男女四人の若者達。「上辺だけの付き合い?私にはそれくらいが丁度いい」。それぞれが不安や焦燥感を抱えながらも、“本当の自分”を装うことで優しく怠惰に続く共同生活。そこに男娼をするサトルが加わり、徐々に小さな波紋が広がり始め……。発売直後から各紙誌の絶賛を浴びた、第15回山本周五郎賞受賞作。

【目次】

杉本良平 21歳・H大学経済学部3年
大恒内琴美 23歳・無職
相馬未来 24歳・イラストレーター兼雑貨屋店長
小窪サトル 18歳・自称「夜のお仕事」に勤務
伊原直樹 28歳・インディペンデントの映画配給会社勤務

【感想】

ルームシェアの都会的な関係が描かれた物語だった。表面上は、気を遣わず、仲良く過ごすけれども、深いところは触れ合わない、そんな「さらっとした関係」が描かれていた。
5人の視点から描かれており、最初のうちはそれぞれの関係性がよくわからず、接点が無さすぎる4人がなんでルームシェアをしているのか分からず、でもつかず離れずの関係が妙にリアルだと思って読んでいると、最後の章でルームシェアの真実が分かり、さらに衝撃の展開。そして、さらに衝撃が続く。一度読んだときは、関係性がよく分からないのと、最後の衝撃が強烈だった。今回二回目読んだときは、心の準備はできていたし、関係性も分かって読んでいたけど、一番最後の衝撃で、やっぱり衝撃を受けた。
一回目も、二回目もこの小説全部を通して「優しい無関心」というようなものがあって、温かさを感じると同時に、怖さを感じる。優しさと冷酷さという、同時に存在しえないようなものが存在している。上手く表現できないけど、とても都会的な小説だと思った。お互いのことをなんとなく知っているつもりでいて、実は本当の深い過去や不安を知らない。でも、そもそもそ人が誰かと接する時には、「本当の自分」を断片的にしか見せなくて、その人の全ての「本当の自分」なんて、知りようがないし、知るべきでもない。そんなメッセージを感じました。


以下、最後の衝撃2連続を除いた、ネタバレを書きます。
ネタバレ注意!!

 大学生・良介は地元九州から東京の大学に上京してきた。これといって目的は無いが東京に憧れがあったためである。進学の際、父と母には金銭面で苦労を掛け、母からは反対されたが、父の「東京で色んな友達を作ってこい。」という言葉により母が説得され、上京した。しかし現実はなかなかその通りにはいかない生活をしていた。ある日、サークルの先輩の彼女と浮気関係になってしまい、一夜を過ごし、次の日の朝、彼女の家で彼女の弟と3人で朝ご飯を食べているときに涙を流す。
OL・琴美は、短大生の時に合コンで丸山くんと知り合い、恋に落ちる。しかしある日、躁鬱病の丸山くんの母親のひどい姿を目撃してしまい、衝撃を受け、結果、別れてしまう。会社員生活に嫌気がさしていたころ、クラブで知り合った人が兄のトラックで東京に行く、という話を聞いて、それに同上して東京に行く。東京には、その後芸能活動をしていた丸山くんがいたからである。しかし、彼に連絡をとっても出ず、唯一東京にいた友達・未来に連絡し、アパートに転がりこむ。そして、多忙な中時々来る丸山くんからの連絡を受け、会いに行くという生活を続けている。OL時代の貯金は底をつき、親には「どうしても叶えたい夢がある」と言って仕送りをもらっている。
 イラストレーター・未来は、雑貨屋の店長でお金を稼ぎ、空いた時間に男性の体の一部の絵を描き、露店で並べている。酒飲みで酔っぱらって、ある日、男娼・サトルを連れて来る。幼い頃母が父から虐待を受けているのを見、その記憶を鎮めるために映画のレイプシーンだけを寄せ集めたビデオテープをずっと隠し持っていたが、ある日、そのテープが上書きされていることに気付き、犯人がサトルだと目星をつけ、追い出したがる。
 男娼・サトルは、昔からふっと人の後をつけて、その人の家に不在時に鍵をこじ開けて忍び込む癖があった。特に何かを盗むわけでもなく、その人の生活を垣間見るだけで満足する。親についての過去は結局謎のまま。それぞれのルームメイトにそれぞれ違う話をし、相手に受け入れられやすいように自分の過去を作って話すようなところがあった。
映画配給会社社員・直樹は、美咲と二人でその部屋に住んでいた。しかし、二人の関係が悪くなり、毎日喧嘩するようになる。そんな時、行きつけのバーで知り合いだった未来がアパートの契約が迫っているが事故を起こしたため金銭的にピンチであるというので、ルームシェアを誘う。しかしそれは、二人の間に誰かが入ることで、関係が少しでもましになるのでは、と考えたからであった。良介は、高校の後輩から、サークルの後輩に失恋して自殺しそうなやつがいると相談を受け、その頃、美咲と未来が自分をよそに毎日楽しそうに過ごしているから連れてきてみた。元OL・琴美が急に転がり込んで来た時も、綺麗好きで整理整頓をしてくれたから追い出さずに住まわせた。全部自分のことを考えた結果であるのに、周りからは懐が深いと頼りにされてしまうようになったことに違和感やいら立ちを感じながらも、結局はまた、その期待に応えてしまう。


【物語について思うこと】

 疑問に思うのは、男娼・サトルは酔っぱらった未来に連れられてきたと言っていたけど、描かれていた空き巣の癖からすると、本当は同じように忍び込んだのではないか?という風に思いました。
いつも忍び込んでも何も盗まず、その家の生活感を感じるだけで終わっていたけど、そのアパートではルームシェアの人に見つかってしまい、予想外に受け入れられてしまったから、そのまま居ついてしまったのではないか、、、と勝手に想像しました。
 もうひとつは、直樹が、結局ルームシェアを受け入れたのは全部自分のためだった。と言っていたけど、それにしても、あくまできっかけは自分の為だったかもしれないけど、追い出す手段はあったはずなのに、それをしなかったのは、優しさがあったからではないかと思う。けど、その「優しさ」に見合う面倒見の良さが無かったので、結局、追い出せずストレスになっていたのかな。と思いました。


2014年1月21日火曜日

読書マラソン53/100『火車』 宮部みゆき


読破っ!!
『火車』 宮部みゆき(作家)
発行:1998年2月 新潮文庫
難易度:★
感動度:★★★
共感度:★★
個人的評価:★★
ページ数:590ページ


【本の紹介】(裏表紙より引用)
休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を探すことになった。自らの意志で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。

【目次】

1~29までの節
あとがき
解説

【感想】

読み応えがあるミステリーだった!!
失踪した関根彰子を追って、刑事が探し回って、謎を解いていく物語に一気に、引き込まれました。
時系列に起こった事件の真相を、様々な人からの断片的な情報をもとに、少しずつ繋がっていくのが、ややこしくもあり、読みがいがありました。

ネタバレはいかんよなー。と思いながらも、時系列に整理してみているうちに、
書きたくなったので、以下、ネタバレで書きます。これから読無かもしれない人は、読まないでね。
読んだことある人は、間違ってたら教えてください。


以下、ネタバレ注意!!

 関根彰子は、宇都宮で育った。父を早くに亡くし、卒業後上京就職。
クレジットカードでどんどん買い物をする癖があり、いつの間にか債務返済できなくなり、ホステスのアルバイトで働くが、過労で体調を崩し、取立てが職場にも来るようになり、会社を退職し、弁護士のもとへ自己破産の申告をしていた。
そんなある日、母が酔って階段から転落死。保険金が200万円入ったが、墓を持っていなかったため、墓のツアーに参加。そこで、自分と同年代の新条喬子に出会い、若いのに悲しい人生を歩んだ者同士が偶然出会ったと思いこみ、意気投合する。
新城喬子は、福島県に生まれた。親がマイホームをローンで買ったことで借金をし、サラ金にも手を出し、取立てに追いかけられるようになる。17歳で高校中退し、一家離散。母娘で名古屋にいたが、病気の父の見舞いにいったところから取り立て屋にかぎつけられ、母が帰ってこなくなったことから危険を察知し、求人広告で目にした伊勢の旅館で働き出す。そこで倉田と出会い、結婚。しかし、結婚したことで戸籍が変更され、再び取立てにかぎつかれる。父が自己破産を知らなかったため、父への取立ては終わらず、取り立て屋には債務者の娘として追いかけられ続ける。子供には返済義務がないため自己破産もできず、結局そのせいで夫と夫の会社に迷惑をかけ離婚。通信販売会社で働き出したころ、自分の「逃亡者」人生から抜け出すために、顧客データを入手し、身寄りのない誰かの人生に乗り替わることを計画する。ターゲット候補を同世代の女性何人かに絞り、少しずつ準備していたころ、候補者のうちの一人・関根彰子の母が違法建築の階段から転落事故死したことを新聞で知り、彼女をターゲットに絞り、接近する。墓のツアーで仲良くなり、殺害する。関根彰子の住んでいたアパートを夜逃げのように去り、新たな場所で関根彰子としての人生を歩み始める。社員3人の零細企業に偽りの履歴を書いた履歴書で入社、事務として働く。取引先の銀行員・栗原和也と知り合い、恋愛関係になり、婚約する。今後のことも考えクレジットカードを作った方が良いという栗原の勧めにより、栗原を通してクレジットカードを申請しようとするが、本物の「関根彰子」は以前自己破産申請を行っていたため、クレジットカードを作成できない。そのことを不審に思った栗原が、その旨が書かれた書類を見せると、新城喬子は青ざめて失踪する。
残された栗原は訳が分からず、遠縁の刑事、本間俊介に相談を持ち掛ける。



この最後の一行、栗原が本間さんを頼ってくるところから物語が始まって、本間さんが少しずつ真相に近づいていきます。最初の内は、関根彰子が偽物だなんて思わないので、イメージが一致しないなぁ。。と思っていたら、まさかの別人。浮かび上がってくる「新条喬子」という女性。最後は彼女の存在を突き止め、声をかける瞬間で終わる。話が練られすぎていて脱帽です。一回読んだだけでは把握しきれず、ネットのネタバレを見返して整理されました。笑

新条さんの「逃亡者」人生が切なくて、不幸な境遇にありながらも、なおしっかりと強く生きようとしている姿が印象的でした。途中からは、憂いを帯びた感じと、芯のある強さを持ち合わせたイメージで、自分の中で勝手に橋本愛さん(あまちゃんのユイちゃん)をキャスティングしていました。(映像化された際は佐々木希さんだったそうです。)そして、結果的には殺人者でありながらも、新条さんのそれまでの人生は何人かの彼女を愛した人から証言され、語られており、殺してしまい人生を乗り替わってしまった関根さんに対して「情がある」ととれる行動をしているのが描かれていました。関根さんについても、カードで自己破産してしまうような人だったけど、幼馴染がずっと気に掛けていたりして、二人のことを大切に思っていたり、気に掛けていた接点のないそれぞれの人々から少しずつ形作られる二人の人間像が、本人の描写がないはずなのに、すごく存在感のある描写に感じられました。

映像版も見てみたいです。