2013年11月30日土曜日

読書マラソン42/100『若者殺しの時代』 堀井憲一郎

読破っ!!
『若者殺しの時代』 堀井憲一郎
(コラムニスト)
発行:2006年4月 講談社現代新書

難易度:★☆☆☆☆
資料収集度:★★☆☆☆

解度:★★★☆☆
個人的評価:★★☆☆☆

ページ数:201ページ



【本のテーマ】
若いことは得である、というのは本当か?
1980年代、90年代の時代の変化を著者の体験と調査を踏まえて語り、
若者がどのような被害を受けているかを綴った、超近代史。
 
【キーワード】
一杯のかけそば、クリスマス、1983年、ディズニーランド、おしん、

社会システム60年説、若者殺し、旧システムからの逃走

【目次】
まえがき
第一章 1989年の一杯のかけそば
第二章 1983年のクリスマス
第三章 1987年のディズニーランド
第四章 1989年のサブカルチャー
第五章 1991年のラブストーリー
第六章 1999年のノストラダムス
第七章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱
あとがき
 
【概要】

第一章 1989年の一杯のかけそば
1989年に昭和天皇が無くなり、
栗良平の「一杯のかけそば」という短い物語が感動的で話題となり、メディアに頻繁に取り上げられた。貧しい母子のサクセスストーリーである。時代設定は1974年であるが、1970年代世代その時代の「貧しさのリアル」が描かれていて感動した。という意見がある反面、最終的に子供がなる職業が医者と銀行員というのが嫌な感じがする。という二種類の感想が多かったという。それが、1990年代世代の感想になると、その時代の「貧しさのリアル」が薄まり、医者と銀行員という職業に対するイメージも「金」とつながりの深い仕事であるという、世代によって同じ物語から受ける印象が異なっている、と指摘していた。時代が大きく変動した年として「1983年」をあげていた。
 
 
第二章 1983年のクリスマス
1960年代クリスマスは恋人のためのものであるという概念はなかった。1970年代になって女性雑誌アンアンなど複数のメディアで少しずつ特集が組まれるようになり、1983年あたりに「クリスマスは恋人のためのもの」という概念が作られていっていたと指摘していた。男性雑誌は女性雑誌に少し遅れつつも方向展開をしていた。バレンタインも同じく。
 
第三章 1987年のディズニーランド
ディズニーランドが「1983年」に開園され、1987年に著者が年越しで行ったときには、
すでに聖地化されており、1983年の年越しとは比べ物にならないほどの人が押し寄せていた。
また、NHKの連続テレビ小説「おしん」が放送されたのは「1983年」であり、史上最高の平均視聴率52.6%を記録していた。しかし、それ以降は徐々に平均視聴率が低下している。
80年代を通して、共通の価値観や共同体が解体され、「お金」によってばらばらになり始めた。
面白いものをなんでも市場化してしまい、特に女性に向けた市場が拡大した。
 
第四章 1989年のサブカルチャー
著者が所属していた「漫画研究会」の歴代のOB・OGを対象に調査し、
「漫画」というものが世代によってどのように受け取られていたかを考察していた。
オタクという言葉が生まれたのも「1983年」である。(中森明夫が漫画ブリッコの中で命名した)
そして、1989年の宮崎勤による「連続幼女殺害事件」により、オタクの評価が一気に下がった。と述べていた。
 
第五章 1991年のラブストーリー
1990年代は停滞する消費の時代である。と述べていた。月9のドラマが1988年に始まり、1990年1月には「1クールのドラマ数」が7つであったのが、1999年には16にまで増えた。90年代の処方箋として、女性は恋愛ドラマで、男性はヘアヌードがあったと述べていた。また、阪神淡路大震災をきっかけに携帯電話の価値が見直され、1997年を境に急激に普及した。携帯でいつでも連絡が取れるようになり、直接的な緊張感(親との会話など)がなくなった反面、根本的な緊張(電話に出ない=拒否)が増した。
 
第六章 1999年のノストラダムス
1990年を境に、多くの人が、文章作成の際の「手書き」から「ワープロ・パソコン書き」に移行した。(当時の人気ミステリー小説ランキング上位の平均的重さの比較による分析)1999年のノストラダムスや「2000年問題」など、人々はこの時代の変化のスピードに対し、何かが起こるのを期待していた。と述べていた。
 
第七章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱
近代化は、「脳化」をよりいっそう進めてきた。1945年の敗戦から始まり、高度経済成長期を経て、ゴールにたどり着いた。しかしそこで「一区切り」をつけずに、そのまま走り続けようとしている。
50年かけて作ったシステムを捨てきれないでいる。社会システムの盛衰は60年で1タームという法則がある。例えば、ソビエト連邦1917=1991の74年。日本は1945年から数えてすでに60年を近づき始めている。「大きな区切り」を迎えようとしている。今の若者は「対戦戦後の社会を形成した一番下の世代」であり、社会形成に参加していないのに、滅び行く社会に一員として組み込まれている。だから著者は若者に「逃げろ」と述べていた。その方法として①社会を破壊し、新たに形成する②「考える」ことをやめ、「感じる」ことに重きを置け。と述べていた。
 
あとがき
本書で描いてきた80年代、90年代史を簡単に年表にまとめていた。
1983年 恋愛のクリスマスが始まる
1987年 男子が恋愛のクリスマスに追いつく
1987年 TDLが聖地化し始める
1989年 貧乏を完全に捨てる
1990年 文章は機械で書くものになる
1991年 ラブストーリーを見て女子が勝手に恋愛レートを上げた
1991年 その分男子のためにヘアヌードが安くなった
1993年 女子高生の性商品化が始まる
1997年 携帯電話で社会が覆われる
1997年 大学の「単位」が「来る」ものになり世界はバーチャルになる
 
【感想】
僕が生まれた前後の時代の変動について個人的な視点を中心に書いてある本でした。
「若者殺し」というテーマが中心かと思ったのですが、そうではありませんでした。
しかし、1945年から50年かけて積み上げてきたシステムが、高度経済成長を達成し、
ひとまず豊かな社会を作り上げた今、そのシステムを変えずに突き進めようとすることは、
確かに「若者殺し」なのかもしれません。60年で一つの「社会」に区切りが来る。という説も、核心をついていると思います。そして、僕たち世代は、そのタームの一番最後の世代、という表現も、的確だと思いました。
 
以前読んだ「人工負荷社会」と合わせて考えることで、より考えが深まりました。
2013年段階で、人口ピラミッドの大きな山の二つを占める
団塊の世代(1947年~1949年生まれ)は66歳~68歳、
団塊ジュニア世代(1970年代生まれ)は40歳~50歳
定年退職は65歳(会社によって違うけど)なので、
これを考えると、そろそろ、戦後を支えた世代と、高度経済成長を支えた世代が一気にリタイアする、大きな時代の区切り、世代交替の時期がやってきます。
そこで、それまで半世紀かけて積み上げてきたシステムを、ただそのまま押し付けるだけでは、
それは現実に即さないものであるだろうし、「若者殺し」と呼ばれても仕方がないと思います。
うまく説明しきれませんが、その危機感や、切迫感を最近やっと意識するようになりました。
バイタリティ溢れる世代からの世代交代の時は刻々と近づいているのだと思います。
 
そして、2020年のオリンピックについても絡めて考えました。
日本があれだけオリンピック誘致に必死になり、最終的に手にすることができたという現状を、「交替世代の意地」として捉えてみました。肯定的に捉えるならば、間もなく訪れる「世代交代」に向けて、「交替世代」として最後に盛大な「祭り」を行うことで、日本経済を活性化し、「次の世代」へのバトンタッチをより晴れやかなスタートにしようとしているのではないか。もちろん、否定的に捉えるならば、この盛大な「祭り」によって、「日本というハードル」をより高めた状態で「次の世代に」バトンタッチをする。世界からは「おもてなし」精神を以前以上に期待され、あげられたハードルを必死に「次の世代」が負担する。というような「若者殺し」的な捉え方もできますが、どちらにせよ、「世代交替祭り」的な意味合いを持ったオリンピック誘致であったのではないのかな、と勝手に妄想しています。
 
【個人的評価・理解度】
タイトルの危機感や絶望感とは違った、80年代・90年代史が多かったです。
個人的視点で書かれていたので、当時の空気を想像することができる本でした。
しかし、最後の方ではきちんと「若者」の現状について述べられていました。
 

2013年11月29日金曜日

読書マラソン41/100『さとり世代』 原田曜平

読破っ!!
『さとり世代~盗んだバイクで走りださない若者たち~』
 
原田曜平(博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー)
発行:2013年10月 角川ONEテーマ21

難易度:★☆☆☆☆
資料収集度:★★☆☆☆
理解度:★★★★☆
個人的評価:★★★★☆

ページ数:243ページ



【本のテーマ】
ゆとり教育を受けた世代の若者の中で、特に、ムダな消費もムダな努力も拒否する若者たちを
「さとり世代」と名づけ、その特徴や性質を討論を通して探る。
全編さとり世代との議論を文字に起こして綴っていた。
後半では、バブル世代とさとり世代の議論を通して、価値観の違いを明らかにする。
 
【キーワード】
ゆとり世代、さとり世代、経験消費、いいね!症候群、コスパ、面倒くさい、イタイやつ、
少額ちょこちょこ消費、口コミ、既視感、友達親子
 
 
【目次】
まえがき
さとり世代年表
第一章 さとり世代の誕生
第二章 さとり世代のちょこちょこ消費
第三章 さとり世代は恋より友達を選ぶ
第四章 さとり世代と日本の未来
番外編 バブル世代vsさとり世代
あとがき
さとり世代用語辞典
【概要】
まえがき
2チャンネルの掲示板から生まれ、広まった「さとり世代」という言葉。
「ゆとり世代」が大人たちが命名した否定的・批判的な名前であるのに対して、
「さとり世代」は時代の特徴をよく表した名前であるとして広まった。
 
さとり世代年表
1992年から2013年までの出来事や流行、さとり世代によるコメントを掲載していた。
 
第一章 さとり世代の誕生(時代背景・基本的特徴)
さとり世代が発生した原因として、①長引く不況と②ソーシャルメディアの発達をあげていた。
以前のような見込み期待で「足し算発想」ではなく、リスク回避の「引き算発想」を行い、
また、ソーシャルメディア上で「ソーシャルメディア村社会」を数多く形成し、「空気を読む」関係を築いている。lineの登場がそれに拍車をかけている。
 
第二章 さとり世代のちょこちょこ消費(消費観)
さとり世代の消費は減少している。その理由は①不況によりお金自体が無くなっている②世代的には豊かな世代に生まれたので、お金にしがみつかない③「安かろうそこそこ良かろう」商品の普及④ソーシャルメディアの影響、の4つをあげていた。特に④の影響が大きく、人間関係が広まったことによる「お付き合い消費」が増え、「少額ちょこちょこ消費」が増え、以前のような「高額単品消費」を行いにくくなった。また、インターネット上のさまざまな口コミ情報により、「既視感」を得、経験したような気持ちになれる(=さとれる)ことが消費の阻害要因である。と述べていた。その一方で、「いいね!」を得るための消費や「思い出消費」や「ネタ消費」など、「物」よりも「経験消費」に価値を見出す傾向がみられる。
 
第三章 さとり世代は恋より友達を選ぶ(恋愛・結婚観)
ソーシャルメディアの影響により、出会いの機会は増えたが、その分恋愛の裏側を口コミで知る機会も増え、疑心暗鬼になり面倒を感じてしまう。そのため、「女子会」や「男子会」など居心地の良い同性コミュニティを重視するようになってきている。しかし、結婚願望や子供を産みたい願望はあり、「完全な男女平等を描かない」や「年上女性も狙う」などの方法で問題に向き合おうとしている。
家族観としては、親子の仲が良くなっていることが特徴としてあげられ、「友達親子」現象はさらに促進され、親子による消費も更にに広まっていくと予想される。と述べていた。
 
第四章 さとり世代と日本の未来(労働・政治意識)
出世心が強くなく、「そこそこの生活」を求める。職場に人間関係とワークライフバランスを求める。
夫婦で共働き(夫の方が奥さんより稼ぐ)を望む。などの傾向がある。と述べていた。
政治への不信感が強い。自分たちが政治を動かせるという感覚が無く、世の中の動きを傍観し、受け入れる。という態度である。と述べていた。
 
番外編 バブル世代vsさとり世代
バブル世代とさとり世代が恋愛観、消費観について価値観を述べあい、議論するようすを文字に起こしていた。バブル世代は消費を積極的に行い、それを競い合うことをゲーム感覚で行ってた。
さとり世代は教育については「ゆとり」であるが、バブル世代は就職に関してはさとり世代より遥かに「ゆとり」であると指摘されていた。
 
あとがき
「さとり世代」とは、「さとった風世代」であり、不景気で閉塞的な時代背景に適応して生まれた性格である。議論を通して見えてきたさとり世代の特徴を再度まとめていた。
 
【感想】
博報堂の若者研究所のリーダーの著書、NHKラジオで紹介されていたので気になって読みました。前編議論を通して「さとり世代」を言葉として認識することができました。
 
以前「中国は一昔前の日本みたいだ」っていう言葉を聞いたことがあって、それがこの本を読んで、ああ、こういうことか。って分かりました。
ブランドを買い求めたり、いい車を買おうとしたり、スキーウェアを毎年買い替えたり、
そういうことを「ゲーム感覚」でやっていた。というバブル世代の発言が印象に残りました。
中国の「面子」に関する本で「面子~中国人的权利游戏~(中国人の権利のゲーム)」という本を以前探していたので(結局手に入っていませんが)、バブル世代の日本人は、
中国人の「面子」的感覚を持っていたのではないかと思います。
バブル世代の価値観がまだまだ分からないのですが、「所有を競い合う」感覚は共通しているところがあると感じました。
しかし、就職に関していえば、中国は今すでに就職難の時代になっているので、
その点ではバブル世代とは大きく違っているのではないかと思いました。
 
全編通して議論のようすをそのまま書いていたのが、とてもリアルでした。
ただ、参加者は「大学生」なので、高卒の若者、中卒の若者とはまた価値観が違う、と書かれており、(中卒、高卒者の消費感覚は以前のものと似ている。)大学生の若者が「さとり世代」の特徴を持っている、と考えた方が的確であると考えました。
 
さとり世代が「空気を読む」ことに敏感な理由が、SNSの普及による、人間関係の多チャンネル化、流動化であるという指摘は的確であると思いました。場合場合によって、ここで表現できる「自分」(自分をどこまで出すか)を決める。ということを行っているのだと思いました。
 
【個人的評価・理解度】
自分の世代にとって「当たり前」であることを分析によって明らかにすることは、とても意味があることだと思います。最後のバブル世代とさとり世代の対話は随所にジェネレーションギャップが見られ、さとり世代の特徴がより実感できて面白かったです。

2013年11月28日木曜日

读书马拉松40/100『当代中国的人际关系特点分析』 宋倩,廖昌荫

读破了!!
当代中国的人际关系特点分析』 宋倩,廖昌荫(广西示范大学
発行:2007年2月 钦州学院学报
难易度:★★★☆☆
资料收集度:★☆☆☆☆
理解度:★★★★☆
个人评价:★★☆☆☆

页数:3页


【这本书的主题】(この本のテーマ)

中国人的人际关系随着社会的发展有些部分发生一些变化。不过有些部分仍然根深蒂固地存在着。
中国人的传统文化是什么。现代化使它发生变化的要素是什么。
(中国人の人間関係は、社会の発展に伴って変化している。しかし、依然として根付いている伝統的文化もある。中国の伝統文化とはどのようなものか、現代化が文化を変化させる要素とは何か。)
 

【关键词】(キーワード)
人际关系,人际交往,传统文化,人际关系模式, 儒家思想,面子,人情,
(人間関係、人間交際、伝統文化、人間関係モデル、儒教思想、面子、人情)
 
【目次】
一、中国传统文化对当代中国人际关系的影响
(一)伦理道理判断:处理人际关系的出发点
(二)谦恭求和:处理人际关系的原则
(三)妥协折中,回避冲突:处理人际关系的方式
(四)“人情”和“面子”:维系人际关系
二、当代中国人际关系的特点
(一)传统人际关系模式在市场经济时代下的新走向
1,走向民主化 2,走向开放化 3,走向理性化 4,走向功利化
(二)人际关系在当今信息网络时代下呈现的新特点
1,网络化 2,多元化 3,国际化

一、中国の伝統文化が現代中国の人間関係に与える影響
(一)論理道理的判断:人間関係を処理する出発点
(二)謙恭にして和を求める:人間関係を処理するための原則
(三)妥協と折中、衝突を回避する:人間関係を処理する方法
(四)「人情」と「面子」:人間関係を維持する
二、現代中国人の人間関係の特徴
(一)市場経済における伝統的人間関係のモデルの新傾向
1,民主化 2,開放化 3,理性化 4,功利化
(二)情報化時代における人間関係の新しい特徴
1,インターネット化 2,多元化 3,国際化
 
【概要】
一、中国传统文化对当代中国人际关系的影响
 中国人的人际关系基本上是循着儒家思想的价值取向发展。

(一)伦理道理判断:处理人际关系的出发点
人们对人物和事件进行评价时,总是将其纳入一个伦理道德价值的框架中进行判断。那个道德价值是长期积淀下来的传统道德。尽管当代中国的价值判断已经渗入了“经济”、“利益”等因素,但伦理道德判断依然占据着重要的地位。

 

(二)谦恭求和:处理人际关系的原则
中国传统文化强调“谦恭”和“谦虚”。这个文化里往往给对方留足了面子,同时也将自己“谦虚“的美好形象留在对方心中。“谦恭”文化有两种影响。一个消极的影响就是人们越来越难以以诚相待,互相之间发生了怀疑。还有,彰显个性的人往往容易受到团体中其他人的排斥,人们的个性受到抑制,不利于人们健康心态的形成。另一个积极的影响就是它在很大的程度上促进人际关系的和谐。
 
(三)妥协折中,回避冲突:处理人际关系的方式
中国文化中“人情”占据了绝对重要的地位。由于传统中国文化下对人际关系中要求“求同而不能存异”,所以中国人往往通过相互妥协、甚至折中解决问题。但是,很多时候在折中的过程中放弃原则、放弃立场,,,所以,和谐的外表下往往潜藏着危机。表面的共识,背面的不服。回避冲突不代表着回避问题。我们应该以理性的思维和巧妙的沟通方式去澄清问题。
 
(四)“人情”和“面子”:维系人际关系
中国人在考虑问题的时候往往最多考虑“面子”和“人情”的因素。讲“人情”、爱“面子”有积极的一面,它有利于人际互动的和谐进行,维系着人与人之间的情感因素。不好的一面就是它容易引发人们的虚荣心,追求表面上的“体面”。因为太考虑人情或面子,人们经常会承担超过自己能力或意愿的范围的请求或任务,造成个人巨大的心理压力。
 
二、当代中国人际关系的特点
(一)传统人际关系模式在市场经济时代下的新走向
1,走向民主化
随着现代的发展,以前的传统等级思想与特权意识逐渐受到批判。
当代中国文化强调平等,个人隐私权等权利。
2,走向开放化
当代中国人的人际关系范围与以前不同,不限于家族、亲戚。
不过交往数量越多却交往时间、质量越少。
3,走向理性化
以前在中国文化里,亲缘关系、地缘关系、裙带关系最为重要。不过进入当代社会、市场竞争主要是人才的竞争,所以它突破了亲缘和地缘的限制,使得人们可以在更平等的环境下寻求自我的发展。
4,走向功利化
随着社会经济化,“人情”不再是人际交往的目的,而成为了人际交往的手段和工具。
功利主义使人际关系的情感因素减弱了。人们突破了以前的人际关系,建立起新型的人际关系。
 
(二)人际关系在当今信息网络时代下呈现的新特点
1,网络化
网络为人际交往提供了一条崭新的渠道。由于它的跨时空性特点,人们更容易讲出心里话、从而起到缓解压力的作用。然后“虚拟+现实”的交往方式也出现了。但是,网络犯罪、青少年网络成瘾等问题也显现出来了。
2,多元化
当代中国人际关系下,过去存在的”代沟“变得越来越浅。人们之间的交往方式不再附着于某个固定的群体、固定的区域和固定的形式。多元化表达了人们对生活方式的丰富多彩的需求。
3,国际化
国际化也有利于突破传统的“三缘”。不仅国内有很多留学生,而且去外国旅行或者留学的人也越来越多了,还有通过网络也可以接触不同种族的人、不同国家的朋友。

{感想}
这篇论文写的是当代中国的社会发生什么变化了,跟以前怎么不一样了。
虽然发生有些变化,不过仍然存在着根深蒂固的传统文化。
这篇论文也认为在中国社会中”人情“和”面子“是很重要的东西。
当考虑中国社会的时候,同时考虑这些社会背景的话,对中国社会的理解会比较深刻。

{个人评价、理解}
页数不太多,写得不复杂。当开始读中文论文的时候,是很好的材料。
从这篇论文开始。我会努力地读更多中文论文。
【概要】

一、中国の伝統文化が現代中国の人間関係に与える影響
中国人の人間関係は、基本的に儒家思想の価値に基づいて発展してきている。
 
(一)論理道理的判断:人間関係を処理する出発点
人々が人や物事を評価するとき、いつも道徳価値のフレームの中で判断を行う。
その道徳価値とは長い時間をかけて積み重ねてきた伝統道徳である。たとえ現代中国の価値判断に「経済」や「利益」などの要素が加わったとしても、その倫理道徳による判断はまだ重要な地位を占めている。
 
(二)謙恭にして和を求める:人間関係を処理するための原則
中国の伝統文化は“謙恭”と“謙虚”を強調している。この文化の中では、相手に十分な「留面子(面子を残す)」をすることと同時に、相手に自分の「謙虚さ」を印象付ける。この文化には二つの影響があり、悪い影響としては、どんどん誠実さをもって接する(思ったことを口にする)ことができなくなり、お互いの間で疑ってしまう。また、目立った個性がある人は、団体の中で浮いてしまい馴染めないことがよくあり、健康的な心情の形成にあまりよくない。しかし、その一方で、その文化は人間関係を促進し、調和をとるのに大きな役割を果たしている。
 
(三)妥協と折中、衝突を回避する:人間関係を処理する方法
中国人の文化の中で「人情」は絶対的に重要な地位を占めている。伝統的中国文化の下では、人間関係の中に「求同而不能存异(同じものを求め、異なるものを残さない)」を求める。
だから中国人は妥協や折中によって問題を解決する。しかし、多くの場合折中の際に何らかの原則や立場を放棄することになる。だから、表向きの調和の下には、潜在的な危機が潜んでいる。
表面的な同調の裏で、納得できていないことがある。衝突を回避することは問題を回避することではないので、理性的な考え方とコミュニケーションを通して問題を解決していくべきである。
 
(四)「人情」と「面子」:人間関係を維持する
中国人が問題を考えるときに、「面子」と「人情」について考えることが多い。「人情」を語り、「面子」を大切にすることの良い面は、お互いの人間関係を調和的なものにし、人と人の間の感情的要素を維持することができる。良くない面としては、簡単に虚栄心を引き起こし、表面上の「対面」を求めてしまうことである。人情や面子にこだわりすぎる人は、よく自分の能力ややりたい気持ちを超えた頼みや任務を引き受けてしまい、心理的に大きなストレスを感じてしまう。
 
二、現代中国人の人間関係の特徴
(一)市場経済における伝統的人間関係のモデルの新傾向
1,民主化 
現代化にともなって、以前の伝統的階級思想と特権階級の意識はしだいに批判されるようになった。現代中国文化では平等や個人のプライバシーの大切さを主張している。
2,開放化
現代中国の人間関係の範囲は以前と違い、家族や親戚に限られなくなった。
しかし、交流する人の数が多くなると、その分交流の時間や質が低下してしまっている。
3,理性化
以前の親戚関係、地縁関係、婚姻関係に基づく関係がとても重視されていた。しかし現代社会に入り、市場競争は人の才能による競争が主であるため、市場競争が親戚関係や地縁関係を突破した。人々はより平等な環境の下で自己の発展を追求することができるようになった。
4,功利化
社会の経済化に伴い、「人情」は人間関係の目的ではなく、人間関係の手段や道具になってしまった。功利主義は人間関係の感情的要素を弱めてしまった。人々はこれまでの人間関係を突破し、新しい人間関係を築き上げている。
 
(二)情報化時代における人間関係の新しい特徴
1,インターネット化
インターネットは人間関係の全く新しい架け橋となった。時空を超えられるという特性から、人々は本音を言いやすくなり、ストレスを緩和できるようになった。「バーチャル + リアル」の人間関係も出現した。しかし、ネット犯罪や青少年たちのネット中毒などの問題も出てきた。
2,多元化
現代中国の人間関係では、以前のような「ジェネレーションギャップ」がどんどん少なくなってきている。人々の間の交流の方法は、決まったグループや決まった地域や決まった方法ではなくなった。
多元化は、人々が生活の豊かさを求めていることの表れである。
3,国際化
国際かは伝統的な「三縁」を突破する力がある。国内には留学生が増え、国外に旅行や留学に行く人もどんどん増え、ネットを通して、違う種族、違う国の人と交流できるようになった。

【感想】
この本では現代社会がどのように変化したか、以前とどう違うようになったのかについて書かれていました。変化があっても、それでも依然として変わらない伝統文化とは何かについても書いてありました。この本の中でも中国社会では「人情」と「面子」がとても大事なものだと書いてありました。
中国社会について考えるとき、その社会の背景について考えることはとても役に立つと思います。

【個人評価、理解】
ページ数は多くなく、シンプルに書いてありました。中国の論文を読み始めるにあたって、
とてもいい材料だったと思いました。この論文から初めて、中国語の論文をどんどん読んでいきたいです。
 
 

2013年11月26日火曜日

読書マラソン39/100『空気の研究』 山本七平

読破っ!!
空気の研究』 山本七平(評論家)
発行:1983年10月 文芸春

難易度:★★★★☆
資料収集度:★★☆☆☆

理解度:★★★☆☆
個人的評価:★★★★☆

ページ数:237ページ

 
 
【本のテーマ】
現代の日本において「空気」は「絶対的権威」のような力を持っている。
聖書・イスラム教・軍隊それぞれに精通した著者が、
日本人独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探った名著。


【キーワード】
臨在感的把握、絶対的権威、抗空気罪、二重基準(ダブルスタンダード)、空気支配、アニミズム、
物神論、一神教、日本的状況倫理と状況理論、固定倫理、父と子の相互隠蔽 
 
 
【目次】
「空気」の研究
「水=通常性」の研究
日本的根本主義について
あとがき
解説 

【概要】
・・・「空気」の研究・・・
日本には「差別の道徳」がある。三菱重工爆破事故の際、ほとんどの人々は負傷者を傍観していただけで、負傷者を介抱していたのは、その負傷者の「知人・身内」だけであったという。
しかし、「差別の道徳がある」ということを行ってわいけない「空気」がある。
「空気」とは、絶対の権威であり、物事の最終決定者であり、反論の余地がない。
戦艦大和の特攻出撃についても、軍部のエリートによる論理からもありえないものであったが、
のちに最高責任者が「当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疎しようと思わない。」と語ったように、日本には「抗空気罪」のようなものが存在している。
「空気」は、われわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」である。その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準である。今後、日本社会において、「空気」を正しく把握しないと、「戦艦大和」の時のように破滅へと突入してしまう。
「空気」とは、非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力を持つ超能力である。通常は口にされず、論理で説明できない。したがって、われわれは常に「論理的判断」と「空気的判断」の二重基準(ダブルスタンダード)で物事を考えている。空気は自然発生的なものと人工発生的なものとがるが、人口発生的な空気を考えると、「物神論」の視点につながる。「臨在感的把握」とは、「物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受ける。」現象である。例えば、イスラエルの遺跡発掘の協力に行った日本人が、大量の髑髏を処分する作業をした際、ユダヤ人は平気であったが、日本人は作業をするうちに体調を崩してしまった。それは「臨在感的把握」を日本人が比較的強く行っているからである。明治時代には、啓蒙家が「臨在感的把握」を迷信であり野蛮であり存在しないもの。としたが、存在している物を存在しないとすること「かく考えるべし」とすることは、「探究解明による超越」とは言えず、本質的に克服できないままであった。その例としてイタイイタイ病が広まった時、「カドミウム」が絶対的悪としてメディアで拡散され、必要以上におそれられた。(カドミウム棒を見ただけで恐れて飛び退く等。)このような「臨在感的把握」の根本にあるのは、「感情移入」である。(例:ヒヨコに冷たい水を与えるのが可哀想でお湯をあげたら死んだ。)
臨在感的把握は歴史的所産である。存在に意義があるが、歴史感的把握で再把握しないと絶対化されてしまう。「空気支配」の原則として①臨在感的に把握し、それを絶対化する。②「対立概念で対象を把握すること」を排除する。(例:勧善懲悪の世界、善と悪が個々人に混在すると捉えにくい。)つまり、克服するためには、①臨在感を歴史観的に再把握する。②対立概念によって対象を把握する。
「空気」はどこの国にも存在する。訳語は「プネウマ、ルーア、アニマ」。(アニマの語源は「風、空気」である点にも共通点がある。)中国においては「言必信,行必果」(言ったことを必ず行う→空気に流され、臨在感的把握を絶対化し、行動に移す)を「小人」として批判し、対象を相対的に把握し、対照から自己を自由にすることができる人を「大人」としている。と指摘していた。イスラム教においては、偶像崇拝を禁止している。つまり、臨在感的把握を禁止している。と言える。イスラム教における一神教とは、「絶対」は神だけである、とすることで、他のすべてが徹底的に相対化されることである。対立概念で把握されないと罪であり、その結果残るのは「契約」だけになる。
日本の物神論は、アニミズムに由来している。その特徴として、良く言えば、その場その場の「空気」に従っての「巧みな方向転換」ができる点、悪く言えば、「熱しやすく冷めやすい」、「軽佻浮薄」、「先走りのおっちょこちょい」である。と述べていた。(例:経済成長と公害問題が相対的に把握されず、ある一時期は「成長」が絶対化され、次の瞬間には「公害」が絶対化され、少したって「資源」が絶対化される。)
空気支配の種類として①物質への臨在感的把握②命題(文章)による空気支配③遺影デモなどの偶像による空気支配、をあげていた。天皇という現人神はいわば偶像である。偶像は、自らの感情を移入する対象であっても、そのもの自身は自らの意思を持ってはいけない。という原則がある。
イスラム教の相対主義は空気による支配(臨在感的把握)を許さず、神の偶像化、言語化を禁止している。つまり、人間が発する言葉に「絶対」は皆無であり、命題も全て相対化、対立概念で把握される。(例:「正義は必ず勝つ」⇔「敗者は不正義!?権力者は全て正義なのか?」、「正しいものは必ず報われる」⇔「報われない者は不正?」)このような命題が、場合によっては人を支配し、人を否定する可能性を秘めていることを把握するべきであるという考え方である。そのことにより、命題の虚構化を防ぎ、対象から独立して逆に対象を支配する。旧約聖書は徹底的相対化の世界が描かれている。『箴言』には格言、命題がたくさん載っているが、『ヨブ記』には、その命題にしたがって実行するが報われないヨブの姿が描かれている。命題は矛盾を含み、矛盾を矛盾のままに把握するとき、はじめてその命題が生かされ、命題が絶対化されると、逆用が生じてしまう。
 
・・・「水=通常性」の研究・・・
日本人の空気の支配への抵抗として「水」の概念がある。(例:水を差す)水は、内なる自然現象であり、日本的無意識的通常性的作用(消化酵素的作用)がある。通常性の基盤はその人が持つ「記憶装置」である。その例として終戦の際の様子を述べていた。(それまで巨大な力を持っていた「虚構の異常性」が崩壊した。その異常性を演じていた人びとも実は「怪獣のぬいぐるみ」で息がつまりそうになっていた。具体例:ある参謀、無条件降伏と聞いた瞬間に、東京の自分の家作(貸家)が無事かどうかの心配を口にした。)
通常性の基本の第一は「日本的状況倫理とその奥にある理論」である。それは、個人を無視した共通した類型的な思考過程である。それに対立した概念は「固定倫理」であり、人間を規定する尺度でありながら、人間がこれに関与してはならない。常に体系的に細則化していく。(例:メートル法→リットル・キロと関連していく。⇔日本:尺・貫・升など、人間基準であり、互いに関連性がない。人間基準であるため、同一性、平等性が求められる。)日本的状況倫理の生成の特徴として、状況内における一つの絶対者を規定し、そのことにより基準を定め、価値判断を行う。という点がある。
民主主義は「事実を述べる文化」であり、社会主義の「一絶対者・平等主義」と「父と子の相互隠蔽」という考えと対立する。と述べていた。社会主義の一絶対者とは、批判・分析の対象となる内容を持つ概念ではなく、一種の偶像、絶対的シンボルである。
臨在感的把握の対象を「父」とし、そう把握する者を「子」としてその間の関係を規定する。あらゆる秩序の基である。個人が自由に事実を口にすれば、この関係は成り立たなくなる。=舞台のような虚像の世界。虚像の中に真実を求める社会である。リアリティを指摘することは非観客的である。
つまり、日本は「自由国家」でありながら、「譲れる自由」と「譲れない自由」が混在している。
敗戦直前の「竹槍戦術」(竹槍でB29に立ち向かおうとした)も、この「父と子の相互隠蔽」作用によって「空気」が生み出されていたと言える。
 
・・・日本的根本主義・・・
「頭の切り替え」という言葉について。アメリカ人の「進化論裁判(monkey trial)」について。アメリカ人は当初サルの子孫が神であると信じられずに裁判沙汰になったが、日本はそこまでいかず、適応した。
昭和初期までは「空気」に対抗する「自己追求」があった。
 
【感想】
自分が生まれる前に「空気」について書かれた本があったとは!!驚きです。
「空気」が実は昔から存在している概念であることを再確認させられました。
「KY」という言葉として再認識されるようになったのは最近ですが、戦艦大和の際にも、
大きな決断の際に用いられる原理として「空気」が存在していた。
それは、物神論的感覚の感情移入による「臨在感的把握」によるものである。という説明は、
衝撃的でした。(他の著作で初めて目にしました。)
 
「空気支配」の特徴である、物事や人の性格の側面を「絶対化」し、対立概念から目を背ける。というのは、「キャラ」の発想に通じる部分が多分にあると考えます。「天皇」の存在もある意味「キャラ」であると言えると思います。終戦直後の「怪獣のぬいぐるみを脱いだ」という描写は「キャラ」の概念であると思いました。つまり、「キャラ」とは自然発生的な「空気支配」から生まれるものである。と言えると思います。
 
イスラム教の考え方についても深く言及されており、偶像崇拝を認めない一神教ということは、知っていましたが、現世界に存在させることのできない「絶対」の神に対して、そのほかは全て相対的である。という考えは、つまり、現世界において「絶対」の存在を認めない。という考えであると思うので、深い考えだと感じました。アラーの神に祈るというのは、「この世に絶対などありません」ということを思い出すための行為だと思うと、これまでの捉え方と少しイメージが変わりました。それが実際のイスラム教徒とどれくらい似通っているかはもっと文献を読まないと一概には言えません。
『ヨブ記』の話もこれまで全然知らなくて、聖書にも理想と現実の差、みたいなのを描いた世界観があるということを知りました。
 
空気支配の特徴には、「一絶対者と平等主義」がある、と指摘していましたが、それはあくまで最初だけであり、そこから「キャラ」が自然発生すると、完全に「平等」であるとは言えなくなるのではないか、と思いました。「キャラ」により、バランスを少し崩すことにより、集団内のコミュニケーションを活性化させる役割がある、と以前の本で読んだと思います。そして一絶対者も「人」であったり、「空気」であったりし、「人」である場合でも、「一個人としての人」ではなく、「共同幻想として認識されているイメージ・偶像」が絶対的ポジションにいるのだと思います。
空気支配を「父と子」の関係にたとえ、「臨在感的把握の対象としての父」と「そう把握する子」として共同幻想(虚構の世界)を作り上げていくというのは、ダイナミックなイメージで興味深いと思いました。この関係はテレビの中でも「司会者ーその他の出演者」「出演者全員ー視聴者」の間で行われていると思いました。つまり、テレビにおいては「二重の臨在感的把握」が存在していると考えました。
 
【評価・理解】
後半になるにつれて、理解できなくなっていきましたが、随所にキーワードがあったので、
「空気」について考えるにあたり、大変良い本でした。社会主義であったり、イタイイタイ病であったり、その当時の状況(それこそ空気)が分からなかったので、浅い理解しかできませんでした。
しかし、概念の定義や例を通して考えると、現代にも十分通用する考えがたくさん載っていましたし、「空気」の歴史を感じることができました。