『若者殺しの時代』 堀井憲一郎 (コラムニスト)
発行:2006年4月 講談社現代新書
難易度:★☆☆☆☆
資料収集度:★★☆☆☆
理解度:★★★☆☆
個人的評価:★★☆☆☆
ページ数:201ページ
【本のテーマ】
若いことは得である、というのは本当か?
1980年代、90年代の時代の変化を著者の体験と調査を踏まえて語り、
若者がどのような被害を受けているかを綴った、超近代史。
【キーワード】
一杯のかけそば、クリスマス、1983年、ディズニーランド、おしん、
社会システム60年説、若者殺し、旧システムからの逃走
【目次】
まえがき
第一章 1989年の一杯のかけそば
第二章 1983年のクリスマス
第三章 1987年のディズニーランド
第四章 1989年のサブカルチャー
第五章 1991年のラブストーリー
第六章 1999年のノストラダムス
第七章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱
あとがき
【概要】
第一章 1989年の一杯のかけそば
1989年に昭和天皇が無くなり、
栗良平の「一杯のかけそば」という短い物語が感動的で話題となり、メディアに頻繁に取り上げられた。貧しい母子のサクセスストーリーである。時代設定は1974年であるが、1970年代世代その時代の「貧しさのリアル」が描かれていて感動した。という意見がある反面、最終的に子供がなる職業が医者と銀行員というのが嫌な感じがする。という二種類の感想が多かったという。それが、1990年代世代の感想になると、その時代の「貧しさのリアル」が薄まり、医者と銀行員という職業に対するイメージも「金」とつながりの深い仕事であるという、世代によって同じ物語から受ける印象が異なっている、と指摘していた。時代が大きく変動した年として「1983年」をあげていた。
第二章 1983年のクリスマス
1960年代クリスマスは恋人のためのものであるという概念はなかった。1970年代になって女性雑誌アンアンなど複数のメディアで少しずつ特集が組まれるようになり、1983年あたりに「クリスマスは恋人のためのもの」という概念が作られていっていたと指摘していた。男性雑誌は女性雑誌に少し遅れつつも方向展開をしていた。バレンタインも同じく。
第三章 1987年のディズニーランド
ディズニーランドが「1983年」に開園され、1987年に著者が年越しで行ったときには、
すでに聖地化されており、1983年の年越しとは比べ物にならないほどの人が押し寄せていた。
また、NHKの連続テレビ小説「おしん」が放送されたのは「1983年」であり、史上最高の平均視聴率52.6%を記録していた。しかし、それ以降は徐々に平均視聴率が低下している。
80年代を通して、共通の価値観や共同体が解体され、「お金」によってばらばらになり始めた。
面白いものをなんでも市場化してしまい、特に女性に向けた市場が拡大した。
第四章 1989年のサブカルチャー
著者が所属していた「漫画研究会」の歴代のOB・OGを対象に調査し、
「漫画」というものが世代によってどのように受け取られていたかを考察していた。
オタクという言葉が生まれたのも「1983年」である。(中森明夫が漫画ブリッコの中で命名した)
そして、1989年の宮崎勤による「連続幼女殺害事件」により、オタクの評価が一気に下がった。と述べていた。
第五章 1991年のラブストーリー
1990年代は停滞する消費の時代である。と述べていた。月9のドラマが1988年に始まり、1990年1月には「1クールのドラマ数」が7つであったのが、1999年には16にまで増えた。90年代の処方箋として、女性は恋愛ドラマで、男性はヘアヌードがあったと述べていた。また、阪神淡路大震災をきっかけに携帯電話の価値が見直され、1997年を境に急激に普及した。携帯でいつでも連絡が取れるようになり、直接的な緊張感(親との会話など)がなくなった反面、根本的な緊張(電話に出ない=拒否)が増した。
第六章 1999年のノストラダムス
1990年を境に、多くの人が、文章作成の際の「手書き」から「ワープロ・パソコン書き」に移行した。(当時の人気ミステリー小説ランキング上位の平均的重さの比較による分析)1999年のノストラダムスや「2000年問題」など、人々はこの時代の変化のスピードに対し、何かが起こるのを期待していた。と述べていた。
第七章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱
近代化は、「脳化」をよりいっそう進めてきた。1945年の敗戦から始まり、高度経済成長期を経て、ゴールにたどり着いた。しかしそこで「一区切り」をつけずに、そのまま走り続けようとしている。
50年かけて作ったシステムを捨てきれないでいる。社会システムの盛衰は60年で1タームという法則がある。例えば、ソビエト連邦1917=1991の74年。日本は1945年から数えてすでに60年を近づき始めている。「大きな区切り」を迎えようとしている。今の若者は「対戦戦後の社会を形成した一番下の世代」であり、社会形成に参加していないのに、滅び行く社会に一員として組み込まれている。だから著者は若者に「逃げろ」と述べていた。その方法として①社会を破壊し、新たに形成する②「考える」ことをやめ、「感じる」ことに重きを置け。と述べていた。
あとがき
本書で描いてきた80年代、90年代史を簡単に年表にまとめていた。
1983年 恋愛のクリスマスが始まる
1987年 男子が恋愛のクリスマスに追いつく
1987年 TDLが聖地化し始める
1989年 貧乏を完全に捨てる
1990年 文章は機械で書くものになる
1991年 ラブストーリーを見て女子が勝手に恋愛レートを上げた
1991年 その分男子のためにヘアヌードが安くなった
1993年 女子高生の性商品化が始まる
1997年 携帯電話で社会が覆われる
1997年 大学の「単位」が「来る」ものになり世界はバーチャルになる
【感想】
僕が生まれた前後の時代の変動について個人的な視点を中心に書いてある本でした。
「若者殺し」というテーマが中心かと思ったのですが、そうではありませんでした。
しかし、1945年から50年かけて積み上げてきたシステムが、高度経済成長を達成し、
ひとまず豊かな社会を作り上げた今、そのシステムを変えずに突き進めようとすることは、
確かに「若者殺し」なのかもしれません。60年で一つの「社会」に区切りが来る。という説も、核心をついていると思います。そして、僕たち世代は、そのタームの一番最後の世代、という表現も、的確だと思いました。
以前読んだ「人工負荷社会」と合わせて考えることで、より考えが深まりました。
2013年段階で、人口ピラミッドの大きな山の二つを占める
団塊の世代(1947年~1949年生まれ)は66歳~68歳、
団塊ジュニア世代(1970年代生まれ)は40歳~50歳
定年退職は65歳(会社によって違うけど)なので、
これを考えると、そろそろ、戦後を支えた世代と、高度経済成長を支えた世代が一気にリタイアする、大きな時代の区切り、世代交替の時期がやってきます。
そこで、それまで半世紀かけて積み上げてきたシステムを、ただそのまま押し付けるだけでは、
それは現実に即さないものであるだろうし、「若者殺し」と呼ばれても仕方がないと思います。
うまく説明しきれませんが、その危機感や、切迫感を最近やっと意識するようになりました。
バイタリティ溢れる世代からの世代交代の時は刻々と近づいているのだと思います。
そして、2020年のオリンピックについても絡めて考えました。
日本があれだけオリンピック誘致に必死になり、最終的に手にすることができたという現状を、「交替世代の意地」として捉えてみました。肯定的に捉えるならば、間もなく訪れる「世代交代」に向けて、「交替世代」として最後に盛大な「祭り」を行うことで、日本経済を活性化し、「次の世代」へのバトンタッチをより晴れやかなスタートにしようとしているのではないか。もちろん、否定的に捉えるならば、この盛大な「祭り」によって、「日本というハードル」をより高めた状態で「次の世代に」バトンタッチをする。世界からは「おもてなし」精神を以前以上に期待され、あげられたハードルを必死に「次の世代」が負担する。というような「若者殺し」的な捉え方もできますが、どちらにせよ、「世代交替祭り」的な意味合いを持ったオリンピック誘致であったのではないのかな、と勝手に妄想しています。
【個人的評価・理解度】
タイトルの危機感や絶望感とは違った、80年代・90年代史が多かったです。
個人的視点で書かれていたので、当時の空気を想像することができる本でした。
しかし、最後の方ではきちんと「若者」の現状について述べられていました。
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