2013年11月26日火曜日

読書マラソン39/100『空気の研究』 山本七平

読破っ!!
空気の研究』 山本七平(評論家)
発行:1983年10月 文芸春

難易度:★★★★☆
資料収集度:★★☆☆☆

理解度:★★★☆☆
個人的評価:★★★★☆

ページ数:237ページ

 
 
【本のテーマ】
現代の日本において「空気」は「絶対的権威」のような力を持っている。
聖書・イスラム教・軍隊それぞれに精通した著者が、
日本人独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探った名著。


【キーワード】
臨在感的把握、絶対的権威、抗空気罪、二重基準(ダブルスタンダード)、空気支配、アニミズム、
物神論、一神教、日本的状況倫理と状況理論、固定倫理、父と子の相互隠蔽 
 
 
【目次】
「空気」の研究
「水=通常性」の研究
日本的根本主義について
あとがき
解説 

【概要】
・・・「空気」の研究・・・
日本には「差別の道徳」がある。三菱重工爆破事故の際、ほとんどの人々は負傷者を傍観していただけで、負傷者を介抱していたのは、その負傷者の「知人・身内」だけであったという。
しかし、「差別の道徳がある」ということを行ってわいけない「空気」がある。
「空気」とは、絶対の権威であり、物事の最終決定者であり、反論の余地がない。
戦艦大和の特攻出撃についても、軍部のエリートによる論理からもありえないものであったが、
のちに最高責任者が「当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疎しようと思わない。」と語ったように、日本には「抗空気罪」のようなものが存在している。
「空気」は、われわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」である。その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準である。今後、日本社会において、「空気」を正しく把握しないと、「戦艦大和」の時のように破滅へと突入してしまう。
「空気」とは、非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力を持つ超能力である。通常は口にされず、論理で説明できない。したがって、われわれは常に「論理的判断」と「空気的判断」の二重基準(ダブルスタンダード)で物事を考えている。空気は自然発生的なものと人工発生的なものとがるが、人口発生的な空気を考えると、「物神論」の視点につながる。「臨在感的把握」とは、「物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受ける。」現象である。例えば、イスラエルの遺跡発掘の協力に行った日本人が、大量の髑髏を処分する作業をした際、ユダヤ人は平気であったが、日本人は作業をするうちに体調を崩してしまった。それは「臨在感的把握」を日本人が比較的強く行っているからである。明治時代には、啓蒙家が「臨在感的把握」を迷信であり野蛮であり存在しないもの。としたが、存在している物を存在しないとすること「かく考えるべし」とすることは、「探究解明による超越」とは言えず、本質的に克服できないままであった。その例としてイタイイタイ病が広まった時、「カドミウム」が絶対的悪としてメディアで拡散され、必要以上におそれられた。(カドミウム棒を見ただけで恐れて飛び退く等。)このような「臨在感的把握」の根本にあるのは、「感情移入」である。(例:ヒヨコに冷たい水を与えるのが可哀想でお湯をあげたら死んだ。)
臨在感的把握は歴史的所産である。存在に意義があるが、歴史感的把握で再把握しないと絶対化されてしまう。「空気支配」の原則として①臨在感的に把握し、それを絶対化する。②「対立概念で対象を把握すること」を排除する。(例:勧善懲悪の世界、善と悪が個々人に混在すると捉えにくい。)つまり、克服するためには、①臨在感を歴史観的に再把握する。②対立概念によって対象を把握する。
「空気」はどこの国にも存在する。訳語は「プネウマ、ルーア、アニマ」。(アニマの語源は「風、空気」である点にも共通点がある。)中国においては「言必信,行必果」(言ったことを必ず行う→空気に流され、臨在感的把握を絶対化し、行動に移す)を「小人」として批判し、対象を相対的に把握し、対照から自己を自由にすることができる人を「大人」としている。と指摘していた。イスラム教においては、偶像崇拝を禁止している。つまり、臨在感的把握を禁止している。と言える。イスラム教における一神教とは、「絶対」は神だけである、とすることで、他のすべてが徹底的に相対化されることである。対立概念で把握されないと罪であり、その結果残るのは「契約」だけになる。
日本の物神論は、アニミズムに由来している。その特徴として、良く言えば、その場その場の「空気」に従っての「巧みな方向転換」ができる点、悪く言えば、「熱しやすく冷めやすい」、「軽佻浮薄」、「先走りのおっちょこちょい」である。と述べていた。(例:経済成長と公害問題が相対的に把握されず、ある一時期は「成長」が絶対化され、次の瞬間には「公害」が絶対化され、少したって「資源」が絶対化される。)
空気支配の種類として①物質への臨在感的把握②命題(文章)による空気支配③遺影デモなどの偶像による空気支配、をあげていた。天皇という現人神はいわば偶像である。偶像は、自らの感情を移入する対象であっても、そのもの自身は自らの意思を持ってはいけない。という原則がある。
イスラム教の相対主義は空気による支配(臨在感的把握)を許さず、神の偶像化、言語化を禁止している。つまり、人間が発する言葉に「絶対」は皆無であり、命題も全て相対化、対立概念で把握される。(例:「正義は必ず勝つ」⇔「敗者は不正義!?権力者は全て正義なのか?」、「正しいものは必ず報われる」⇔「報われない者は不正?」)このような命題が、場合によっては人を支配し、人を否定する可能性を秘めていることを把握するべきであるという考え方である。そのことにより、命題の虚構化を防ぎ、対象から独立して逆に対象を支配する。旧約聖書は徹底的相対化の世界が描かれている。『箴言』には格言、命題がたくさん載っているが、『ヨブ記』には、その命題にしたがって実行するが報われないヨブの姿が描かれている。命題は矛盾を含み、矛盾を矛盾のままに把握するとき、はじめてその命題が生かされ、命題が絶対化されると、逆用が生じてしまう。
 
・・・「水=通常性」の研究・・・
日本人の空気の支配への抵抗として「水」の概念がある。(例:水を差す)水は、内なる自然現象であり、日本的無意識的通常性的作用(消化酵素的作用)がある。通常性の基盤はその人が持つ「記憶装置」である。その例として終戦の際の様子を述べていた。(それまで巨大な力を持っていた「虚構の異常性」が崩壊した。その異常性を演じていた人びとも実は「怪獣のぬいぐるみ」で息がつまりそうになっていた。具体例:ある参謀、無条件降伏と聞いた瞬間に、東京の自分の家作(貸家)が無事かどうかの心配を口にした。)
通常性の基本の第一は「日本的状況倫理とその奥にある理論」である。それは、個人を無視した共通した類型的な思考過程である。それに対立した概念は「固定倫理」であり、人間を規定する尺度でありながら、人間がこれに関与してはならない。常に体系的に細則化していく。(例:メートル法→リットル・キロと関連していく。⇔日本:尺・貫・升など、人間基準であり、互いに関連性がない。人間基準であるため、同一性、平等性が求められる。)日本的状況倫理の生成の特徴として、状況内における一つの絶対者を規定し、そのことにより基準を定め、価値判断を行う。という点がある。
民主主義は「事実を述べる文化」であり、社会主義の「一絶対者・平等主義」と「父と子の相互隠蔽」という考えと対立する。と述べていた。社会主義の一絶対者とは、批判・分析の対象となる内容を持つ概念ではなく、一種の偶像、絶対的シンボルである。
臨在感的把握の対象を「父」とし、そう把握する者を「子」としてその間の関係を規定する。あらゆる秩序の基である。個人が自由に事実を口にすれば、この関係は成り立たなくなる。=舞台のような虚像の世界。虚像の中に真実を求める社会である。リアリティを指摘することは非観客的である。
つまり、日本は「自由国家」でありながら、「譲れる自由」と「譲れない自由」が混在している。
敗戦直前の「竹槍戦術」(竹槍でB29に立ち向かおうとした)も、この「父と子の相互隠蔽」作用によって「空気」が生み出されていたと言える。
 
・・・日本的根本主義・・・
「頭の切り替え」という言葉について。アメリカ人の「進化論裁判(monkey trial)」について。アメリカ人は当初サルの子孫が神であると信じられずに裁判沙汰になったが、日本はそこまでいかず、適応した。
昭和初期までは「空気」に対抗する「自己追求」があった。
 
【感想】
自分が生まれる前に「空気」について書かれた本があったとは!!驚きです。
「空気」が実は昔から存在している概念であることを再確認させられました。
「KY」という言葉として再認識されるようになったのは最近ですが、戦艦大和の際にも、
大きな決断の際に用いられる原理として「空気」が存在していた。
それは、物神論的感覚の感情移入による「臨在感的把握」によるものである。という説明は、
衝撃的でした。(他の著作で初めて目にしました。)
 
「空気支配」の特徴である、物事や人の性格の側面を「絶対化」し、対立概念から目を背ける。というのは、「キャラ」の発想に通じる部分が多分にあると考えます。「天皇」の存在もある意味「キャラ」であると言えると思います。終戦直後の「怪獣のぬいぐるみを脱いだ」という描写は「キャラ」の概念であると思いました。つまり、「キャラ」とは自然発生的な「空気支配」から生まれるものである。と言えると思います。
 
イスラム教の考え方についても深く言及されており、偶像崇拝を認めない一神教ということは、知っていましたが、現世界に存在させることのできない「絶対」の神に対して、そのほかは全て相対的である。という考えは、つまり、現世界において「絶対」の存在を認めない。という考えであると思うので、深い考えだと感じました。アラーの神に祈るというのは、「この世に絶対などありません」ということを思い出すための行為だと思うと、これまでの捉え方と少しイメージが変わりました。それが実際のイスラム教徒とどれくらい似通っているかはもっと文献を読まないと一概には言えません。
『ヨブ記』の話もこれまで全然知らなくて、聖書にも理想と現実の差、みたいなのを描いた世界観があるということを知りました。
 
空気支配の特徴には、「一絶対者と平等主義」がある、と指摘していましたが、それはあくまで最初だけであり、そこから「キャラ」が自然発生すると、完全に「平等」であるとは言えなくなるのではないか、と思いました。「キャラ」により、バランスを少し崩すことにより、集団内のコミュニケーションを活性化させる役割がある、と以前の本で読んだと思います。そして一絶対者も「人」であったり、「空気」であったりし、「人」である場合でも、「一個人としての人」ではなく、「共同幻想として認識されているイメージ・偶像」が絶対的ポジションにいるのだと思います。
空気支配を「父と子」の関係にたとえ、「臨在感的把握の対象としての父」と「そう把握する子」として共同幻想(虚構の世界)を作り上げていくというのは、ダイナミックなイメージで興味深いと思いました。この関係はテレビの中でも「司会者ーその他の出演者」「出演者全員ー視聴者」の間で行われていると思いました。つまり、テレビにおいては「二重の臨在感的把握」が存在していると考えました。
 
【評価・理解】
後半になるにつれて、理解できなくなっていきましたが、随所にキーワードがあったので、
「空気」について考えるにあたり、大変良い本でした。社会主義であったり、イタイイタイ病であったり、その当時の状況(それこそ空気)が分からなかったので、浅い理解しかできませんでした。
しかし、概念の定義や例を通して考えると、現代にも十分通用する考えがたくさん載っていましたし、「空気」の歴史を感じることができました。

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