2013年11月9日土曜日

読書マラソン35/100『武士道』 新渡戸稲造  訳:岬龍一郎

読破っ!!
『武士道』 新渡戸稲造(5千円札の人、国際連盟事務次長)
 訳:岬龍一郎

発行:2003年9月 PHP
難易度:★★★★☆
資料収集度:★★☆☆☆

理解度:★★☆☆☆
個人的評価:★★★★☆

ページ数:204ページ



【本のテーマ】

日本には宗教教育が無い。では、道徳教育はどのようになされるのか?
「武士道」という道徳が非言語的に受け継がれ集約され存在しているとして、それを明文化した本。
 
【キーワード】
知行合一、自己犠牲、
 義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、品格、克己、切腹、敵討ち、刀、
 
【目次】
第一章 武士道とは何か
第二章 武士道の源はどこにあるか
第三章 義――武士道の礎石
第四章 勇――勇気と忍耐
第五章 仁――慈悲の心
第六章 礼――仁・義を型としてあらわす
第七章 誠――武士に二言がない理由
第八章 名誉――命以上に大切な価値
第九章 忠義――武士は何のために生きるか
第十章 武士はどのように教育されたのか
第十一章 克己――自分に勝つ
第十二章 切腹と敵討ち――命をかけた義の実践
第十三章 刀――武士の魂
第十四章 武家の女性に求められた理想
第十五章 武士道はいかにして「大和魂」となったか
第十六章 武士道はなお生き続けるか
第十七章 武士道が日本人に遺したも
訳出にあたって 解説
 
【概要】

第一章 武士道とは何か
武士の守るべき掟として求められ、教育された道徳的原理。
一人の人が作り出したのではなく、長い年月をかけ自発的に醸成され、発達し、受け継がれてきた書かれざる、語られざる掟。支配者階級者など、名誉と特権が大きくなるに従いより大切とされた行動様式。
 
第二章 武士道の源はどこにあるか
①仏教②神道③孔子④孟子⑤王陽明のすべての教えを吸収している。
仏教からは運命を受け入れ心を平静に保つ、という教え。神道からは主君への忠誠や祖先への尊敬、愛国心。孔子からは「五倫」(君主、親子、夫婦、長幼、朋友)の大切さ。孟子からは気概、思いやりを大切に民主的に生きること。(孟子のみ時には危険思想とされた)そしてこれらの学びのすべてにおいて王陽明の「知行合一」を重視した(知識を心に同化させ、その品性に表れて初めて真の知識となる)。
 
第三章 義――武士道の礎石
「義」とは、自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力。死すべき時に死に、討つべき時には討つ。(林子平による定義)武士道において最も重要な徳目。
「義理」とは、「正義の道理」であり、人間の作った恣意的な習慣により、自然な愛情が屈服させられるような、社会的条件の中にある。
 
第四章 勇――勇気と忍耐
「勇」とは、正しきことを為すこと。
「勇気」とは、「恐れるべきものと恐れるべきでないものを識別し、生きるべき時は生き、死ぬべき時にのみ死ぬこと」(前半プラトン、後半水戸光圀の引用)
 
第五章 仁――慈悲の心
仁とは、愛、寛容、他者への愛情であり、「王者の徳」である。
封建制と専制政治は違う。封建制は必ずしも暴政や圧政であるとは限らない。
世襲政治と専制政治も違う。専制政治は人民の不本意な服従であるが、
世襲政治は、「誇り高き従順、品位ある帰順、隷従の中にあってさえ、高き自由の精神を生き生きと保つ心服」がある。民衆の世論と君主の意思が一致するためには君主の「仁」が不可欠。
 
第六章 礼――仁・義を型としてあらわす
礼とは、他を思いやる心が外へ現れたものであり、最高の形態は愛である。物事の道理を正当に尊重することである。心がこもっていなければ礼とは呼べず、それは偽物である。
 
第七章 誠――武士に二言がない理由
真実と誠実がなければ礼は茶番であり芝居である。
誠は「動かずして変化を作り、それを示すだけで目的を遂げる性質を持っている。」
 
第八章 名誉――命以上に大切な価値
名誉とは、人格の尊厳と明白なる価値の自覚である。境遇ではなく、個人が役割を全うに果たすことが名誉であるが、それを知るものは少ない。「羞悪の心は義の端(はじめ)なり」孟子
名誉に執着しすぎないための「寛容」と「忍耐」も必要である。
 
第九章 忠義――武士は何のために生きるか
忠義とは、主君に対する服従や忠誠の義務である。政治理論から生まれた他の徳目から独立た特色を持つ道徳である。時によっては、主君のためにわが子をも犠牲として差し出すため、他国から賛同を得られないほどに発達していると言える。西洋の個人主義では家族内に別々の権利を認めるが、日本では一体不可分である。しかし、それは忠義とは良心の奴隷化ではない。奴隷化する者は①寵臣・・・君主の気まぐれや酔狂、道楽のために自分の人生を犠牲にする。②佞臣・・・忠実なふりをし、ごまをすり、心の中では自分のことばかり考えている。として、低評価される。
 
第十章 武士はどのように教育されたのか
武士は数学を学ばない。それは、①富は知恵を妨げる②富と権力を分離するため③具体的に計量不可能な働きに対して外面的な価値で金を払うのは不適当だ。という考えのもとである。
剣術、弓術、柔術、乗馬、槍術、戦略戦術、書道、道徳、文字、歴史などの実践的な学を学んだ。
 
第十一章 克己――自分に勝つ
克己とは、自分の感情を外に出さず、常に心を平静に保つことである。
心の奥底にある思想や感情、とりわけ宗教的な感情を饒舌に述べることは、
日本人にとってはそれらの思想や感情が対して深遠でもなくまた誠実でもないことの表れと受け取られる。時に言葉は「思想を隠す技術」、笑顔は「乱された心の平衡を取り戻そうとする努力」となる。
しかし、その反面、魂の溌剌たる流れを押さえつけ、本来の素直な性質を無理やりゆがんだものにする。頑固さを生み、偽善者を育て、愛情を鈍らせることもある。
 
第十二章 切腹と敵討ち――命をかけた義の実践
切腹とは、魂と愛情が宿るとされる「腹」を切ることで、自らの罪を償い、過ちを詫び、不名誉を免れ、朋友を救い、己の誠を証明する方法である。
しかし、いたずらに死に急いだり、死を憧れることは、等しく卑怯とみなされた。
敵討ちとは、刑事裁判のない時代に社会の秩序を維持した、最高裁判所的役割。
敵討ちを果たした四十七壬は、死罪となったが、大衆から「義士」という称号を得た。
 
第十三章 刀――武士の魂
「武門入り」の儀式後、刀を携えることなく屋敷の外へ出てはならない。
危険な武器を持つ、ということが自尊心と責任感を与える。忠義と名誉の象徴である。
武士道の理想は平和であるため、刀は使うべき時にしか使わないでおくべきであった。
勝海舟は「人を殺すのが大嫌い、丈夫に結えて、決して抜けないようにしていた。」
最善の勝利は血を流さずに得た勝利である。
 
第十四章 武家の女性に求められた理想
妻は「内助の功(内側から助ける)」とされ、夫のために自分を捨て、夫は主君のために自分を捨てた。武士道とは自己犠牲の精神という一面もある。
 
第十五章 武士道はいかにして「大和魂」となったか
第十六章 武士道はなお生き続けるか
第十七章 武士道が日本人に遺したも
武士道は廃れつつある。「書生」は知識の上で生きている。
 
訳出にあたって 解説
新渡戸稲造氏は、1875年上京して英語を学んだあと、1977年には農業を継ぐために札幌農学校へ。そこでクラークの教えに感化されキリスト教に入信。プロテスタントの「質素倹約、自立・自助・勤勉・正直」という考えが武士道と通じるところがおおかったためだと考えられる。
ただ、唯一の違いとしては、武士道には「神」がおらず、「聖書」がなかった。
そのため、和製聖書として「武士道」を書き上げた。
「武士道」はベストセラーになり、セオドア・ルーズヴェルトにも大絶賛された。
日露講和条約にルーズヴェルトがこころよく調印してくれた際にも、「日本のことはよく知らないが、Bushidoはすばらしいと思う」というコメントしたとされ、もし条約調印が長引けば日本は負けていたかもしれない。と言われ、武士道が日本を救ったと言っても過言ではない。
このように世界でも通用する理由として、武士道の一番大切な徳目である「義」の概念が、
社会的動物として生きる上で普遍的な根本原理であるからである。「打算や損得を離れて行う人としての正しい行い」という不合理の精神は「理想」として世界から愛された。
 
【感想】
読み応えがあった!!!!
日本の精神を語った本でこんなに心にすーっと入って来るのは、すごい!
そして、この本の原本が書かれたのが1899年っていうのが信じられない。
今に通用するものがたくさんあったし、いい言葉がたくさんあった。
ところどころ分からないところ(各国からの引用や、最後のまとめのところが特に)があったけど、
日本人の精神を感じられる本でした。
 
そして、現代の「空気文化」の根源がここにあると感じました。
「義」の項目で、
「義理」とは、「正義の道理」であり、人間の作った恣意的な習慣により、自然な愛情が屈服させられるような、社会的条件の中にある。

という、社会的な原因や習慣によって自分の行動を決定する。という点や、

「克己」の項目の
 ・・・反面、魂の溌剌たる流れを押さえつけ、本来の素直な性質を無理やりゆがんだものにする。頑固さを生み、偽善者を育て、愛情を鈍らせることもある。
というのは、「空気を読む」の悪い点であげられる内容とすごくかぶるとこがあります。
 
全体を通して感じたのは、「武士道」が(逆らうことのできない)運命を受け入れ、自己犠牲に徹する。という概念でした。もちろん、変えられる運命の場合は全力で立ち向かうけれども、
生まれや身分による義務や責任、そして社会からの要請や期待などの多くは「運命」として
受け入れ、運命に従って自己を捨てて役割としての名誉を守る。
そんな人間像が見えてきました。
新渡戸さんは「武士道」が失われていっていることを嘆いていました。
確かに、名誉のために死を選ぶ、なんてことは今はもうないけれども、
きっと根本的なところは現代にも受け継がれていると思います。
 
【理解・個人的評価】
各国からの引用が多用されていて、それはよくわからないところが多かったです。
けれども、何百年も前に書かれているのに、現代に通じるものを感じれるというのは、
本当におもしろいし、興味深いし、不思議な歴史を感じられました。

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