2013年11月15日金曜日

読書マラソン37/100『なぜ日本人は世間と寝たがるのか~空気を読む家族~』 佐藤直樹

読破っ!!
『なぜ日本人は世間と寝たがるのか~空気を読む家族~』 佐藤直樹(九州工業大学大学院教授)

発行:2013年4月 春秋社
難易度:★★☆☆☆
資料収集度:★★★☆☆

理解度:★★★☆☆
個人的評価:★★★☆☆

ページ数:210ページ








【本のテーマ】
「家族の解体」という言葉がよく聞かれるようになったが、実は西洋からの「近代家族」が
輸入されてから、概念まで深くする前に解体され始めている。
そのため、「世間」が「いえ」に介入する、という独特の家族の形態をとっている。
「世間」と「家族」をテーマに、西欧と比較しながら「日本の近代家族」について述べていた。



 
【キーワード】
世間のルール、近代家族、愛情原理、滅私奉公、資本主義の中世化、「小さな大人」、プチ世間、
希望格差社会、<対幻想>、<共同幻想>、「存在論的不安」、<親ー子>関係
母性愛、親の謝罪、創唱宗教、自然宗教、アニミズム、循環的時間、直線的時間、

【目次】
はじめに
第一部 日本型家族の誕生―近代家族の歴史的変遷―
 第一章 「世間」とは何か―日本人を縛るルール―
 第二章 「私」なき国の近代家族―「いえ」とは何か―
 第三章 商品化される家族―家族の「解体」という言説―
第二部 「世間」に侵食される日本の家族―今日的状況の考察―
 第四章 妻をなぜ「ママ」とよぶのか―恋愛関係論―
 第五章 増殖する母性愛―親子関係論―
 第六章 親の謝罪は必要か―加害者家族論―
 第七章 忘却は除夜の鐘とともに―年中行事論―
おわりに
 
【概要】
第一章 「世間」とは何か―日本人を縛るルール―
著者は世間を「日本人が集団になったときに発生する力学」と定義している。
集団というのは、一種の<共同幻想>三人以上の複数の人間が生み出す観念の束である。
社会はsocietyの訳として考えられたが、概念までは普及しなかった。
それは、個人individualを構成員とした社会の概念が当時の日本になかったからである。
阿部謹也が述べたルールは①贈与・五週の関係②身分制(長幼の序)③共通の時間意識④呪術性である。そして、「世間」から排除されていないという感覚が「存在論的安心」をもたらしている。

第二章 「私」なき国の近代家族―「いえ」とは何か―
12世紀ヨーロッパにおいて「恋愛」の概念が形成された。それは、「告解」という自分の内面(=個人)と向きあうことにより、「愛情原理」を本質とする二人の人間の観念が生み出す<対幻想>として生まれた概念であった。「恋愛」の概念を引き継いだ19世紀ヨーロッパの近代家族の特徴は、①私的領域と公的領域の分離②性的役割分業=家父長制③家族構成員相互の強い情緒的結合<夫―妻>の関係
日本は明治時代の急速な近代化によって「恋愛」や「家族」の概念が輸入されたが、「個人」の概念が不十分なまま輸入されたため、西洋の近代家族とはまた違う発展を遂げた。①については、「世間の身分制」が影響し、「家が世間の懸け橋となる」役割をになっていたため、公私が明確に分離されていたとは言い難い。②については、日本においても親和性が高かった。③については、「個人」の概念がないため、日本には定着しなかった。
日本の家族において、「世間」は家族の外にあって家族を取り囲み、家族に介入する。「いえ」は「世間」の指示を忠実に伝える出先機関のような役割を果たしている。そこには(公)国―世間―家族―個(私)の関係が存在し、「滅私奉公」することが理想的人間像とされた。

第三章 商品化される家族―家族の「解体」という言説―
市場経済が際限なく拡大していくにつれて、家族という領域にまで踏み込んできた(=過剰商品化)ことにより近代家族は「解体」された。また、資本主義の「中世化」が進み、階層化と世襲化が顕著になり、子供は「小さな大人」として捉えられ、「プチ世間」の中で過剰同調による気の遣いあいをしなければならなくなった。新自由主義の台頭により1998年をターニングポイントとして、「希望各社社会」に突入し、自殺者やフリーターなどが急増するなどの時代背景の中で、近代家族は解体していった。

第四章 妻をなぜ「ママ」とよぶのか―恋愛関係論―
日本では明治時代に輸入された恋愛が実質的に根付いていない。個人同士の<対幻想>の領域には、「共通の時間意識」が入り込んでいる。そのため、夫婦間でも個人的呼称ではなく、「お母さん・お父さん、ママ・パパ」などの家族的呼称で呼ぶ人が多い。しかし若者の間では恋愛の社会的価値は上昇しており、それは世間の承認こそが「存在論的安心」を得られる方法であると考えられていることに起因している。それを端的に表した例として、欧米では子供をしつけるときに「閉じ込める」が、日本では「締め出す」。つまり承認を奪われることを恐れていることがわかる。それは近代を恋愛や家族が近代を通過しなかったため、<対幻想>が脆弱になってしまったからである。
 
第五章 増殖する母性愛―親子関係論―
日本の家族「愛情原理」を基盤とする<夫―妻>関係ではなく、<親―子>関係(支配―被支配の関係)であり、「べったりした関係」である。それは「世間」に支配される人間のプロトタイプ(原型)である。西洋では、「親は親、子は子」として、小さなときから別行動をすることが多い。そのため、日本では親子心中が多く、特に母子心中が多い。年間千人がなくなっている。親子心中の価値観の西欧との認識の違いの例として1985年アメリカ日系人の母子無理心中事件をあげていた。
西欧では親子心中は子供の「生きる権利」を奪う第一級犯罪であるのに対して、日本では、子供を残して自殺するのが忍びないという母性心であるとして刑を軽くする傾向がある。
東京地裁でも1966年~15年で母子心中未遂の98%が行為者の周囲にも責任があるとして、3年以下の比較的軽い刑になっている。そもそも母性愛とは、資本主義の台頭とともに誕生した近代家族の存続に必要とされた理念であり、性別的役割分業体制が敷衍化されていく過程で生じたものであり。大正時代に輸入され始めてから、母子心中が急増した。母性愛の例としてオリンピックで内村航平選手が花束を母親に投げ渡すシーンがメディアに強調されて取り上げられたことについて述べていた。
 
第六章 親の謝罪は必要か―加害者家族論―
日本では、誤ることで相手の面子を立て、場の雰囲気をよくする。謝罪を受け取らないことはバッシングの対象である。などの暗黙の了解がある。(事例:2003年熊本県元ハンセン病患者拒否事件)
また、「いえ」の観念により、親の謝罪も頻繁に求められる。1970年代の「連合赤軍事件」では教師であった父親が辞職し、1988年の「連続幼女誘拐殺人事件」では犯人の父親は自殺した。対する西欧では、たとえ子が犯罪を犯しても、親が子を守ることが社会からも認められている。1995年の沖縄少女暴行事件で逮捕されたアメリカ海兵軍の母親は、来日するや「私の子供は日本の警察の罠にかかった」と主張した。1998年のアーカンソー州の高校で銃乱射事件が起こったとき、加害者の母親に対して段ボール2箱分の手紙が届いたが、その内容の多くは「励ましの言葉」であり、
「息子の面会に頻繁に行ってあげて」「教会であなたたち家族のために祈ります」などのメッセージが届いていた。このような違いの原因として、日本は近代家族が成立しないままに「解体」されてしまったため、家族の「愛情原理」が希薄であり、容易に「世間」の介入を招いてしまう。「世間」の「いえ」全体で責任をとれという圧力に抗する原理を日本の家族は持っていない。08年のJR岡山での少年が乗客を突き落した事件でも、父親がジーパン姿で謝罪会見に臨んだことに非難の声が上がった。02年の福岡市「子猫虐殺事件」では、「世間」が起訴を嘆願し警察と検察が動き、加害者の家族にまでいやがらせ行為がおよび、加害者は法廷で「今、社会への恐れが支配している」と述べた。このように「世間」の前には人権という概念が存在しなくなる。家族間の関係には「共通の時間意識」のルールが適応され、個人と個人の関係にはなりえない。
 
第七章 忘却は除夜の鐘とともに―年中行事論―
日本人は無宗教であるというのは正しくない。と述べていた。
バレンタインデーやホワイトデーでは「相互・互酬の関係」を几帳面に守り、様々な宗教色の年中行事を行っている。それは、「世間の暗黙のルール」が守られているからであり、その意味で信心深いといえる。宗教を「創唱宗教」(特定の教祖がいる)と「自然宗教」(自然発生的宗教)に分けると、日本は後者であり、それは古来のアニミズムに由来している。そのため、ペットを家族同様に扱ったり、ウナギ供養や魚供養などの行事が行われている。
日本人の時間間隔は大晦日と正月を区切りとした循環的時間であるのに対して、西欧は直線的時間である。例として、日本は忘年会でその一年のことを忘れ、新たな年を迎える。フィンランドでは、原発最終処分場オンカロを22世紀に完成させ、その後10万年かけて埋没処理する計画を進めている。これは時間を直線的にとらえるからこそできる。と述べていた。
 
【感想】
タイトルが内容と少しずれていたけれども、日本の家族について考えられる本でした。
阿部謹也氏の本の内容が重要な概念として引用され、具体事例があげられていたので、
「世間」についてより理解を深めることができました。
「存在論的安心」や「共同幻想」などのキーワードは新しいイメージを与えてくれました。
「共同幻想」は、山本七平氏が述べた「臨在的把握」と共通する概念だと思いました。
恋愛と家族の変遷について知ることができました。
親子心中と、親の謝罪は日本で独特の現象であると述べられていました。
西欧での加害者の親の対応と、それを社会が容認しているという事実に驚愕しましたが、
それが全てではないし、加害者の親を責める人もいるのではないかな?と思いました。
けれど、加害者の親に励ましの手紙を送る人が多い、という事実には驚きます。
 
日本人は無宗教だといわれるが、実はそうではない。という主張も納得しました。
以前、阿部謹也氏の本だと思うのですが、「世間は西洋の神と同じ役割を果たしている」という考えを思い出しました。世間がするから自分もする。という感じで、神よりももっと流動的で柔軟なのではないかな?と思いました。
 
【理解・評価】
日本文化と西欧文化との比較をしていましたが、具体的なデータを用いた検証が少なかったので、
あくまで西欧理想論を抜け出せていない気がしました。また、「たぶん」日本独特である、などの表現が出てきていたので、著者自身文化比較は専門ではないのかな、と思いました。
あと、副題にあった「空気」の話が思ったより少なくて残念でした。
しかし、引用している文献が多く、どれも興味を持てるものだったので、また読んでみたいと思いました。

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