2014年3月20日木曜日

90/100『告白』湊かなえ


読破!!
告白』湊かなえ(作家)
発行:2010年4月 双葉文庫
難易度:★
感動度:★★
共感度:★★
個人的評価:★★
ページ数:317ペー


【本の紹介】
「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」
我が子を校内で亡くした中学校の女性教師によるホームルームでの告白から、この物語は始まる。語り手が「級友」「犯人」「犯人の家族」と次々と変わり、次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。衝撃的なラストを巡り物議を醸した、デビュー作にして、第6回本屋大賞受賞のベストセラーが遂に文庫化!<特別収録>中島哲也監督インタビュー『「告白」映画化によせて』。


【目次】

第一章 聖職者
第二章 殉教者
第三章 慈愛者
第四章 求道者
第五章 信奉者
第六章 伝道者
「映画化によせて」 中島哲也


【感想】
 面白かった。以前映画をDVDで見たのですが、最後の衝撃がすごくて、松たか子さんの演技もとても良くて、文庫版も読んでみました。
 文庫版の方がストーリーの構成が映画とは違って、視点が章ごとに変わって語られていました。
同じ事件であっても、人や立場を変えると、思い込みとか、誤解とか、勘違いとか、そういうのが入り混じっていて、事件の裏側にある、人間のリアルな感情が描かれていて、一気に読めました。

 小説か映画か、どちらがよかったか、と言われると、悩みますが、僕は映画を勧めます。
小説の方が、細かい心理描写が描かれている、という点は確かにそうなのですが、最後の終わり方が、映画の方が監督のインタビューの中にもあったように「余白」があると思います。
つまり、はっきりとした結末ではなく、「え!?結局どっちなん!?」という、
どっちにもとれるような結末だったので、見終わってからの余韻がすごかったです。
監督が、彼らが事件について語っているけれども、そこには「嘘」も混じっている。
そこを深読みしていくと、何が何だかわからなくなる。と述べていて、
すごく、「人間的」に映画に仕上げられたのだなぁ。と思いました。

映画ももう一度見たくなりました。

89/100『うそつきは得をするのか』生天目 章

以前読んだ本!!
『うそつきは得をするのか』生天目 章(中央大学商学部客員教授)
発行:2008年5月 ソフトバンク クリエイティブ株式会社
難易度:★
資料収集度:★
理解度:★
個人的評価:★★
ページ数:186ペー

【本のテーマ】(Amazonの商品紹介より抜粋)
ケーキを切り分け、ATMの列に並び、オークションで競るなどと、私たちは日々「社会ゲーム」に参戦しています。この人生ゲームに勝つための秘訣は、あるのでしょうか?悪意のあるうそを撃退する術は、あるのでしょうか?誰もがほしがるうまい方法を見つけるために、本書は「ゲーム理論」を使って、利害のからむ人間関係のかけひきを、具体例からやさしく導きます。

【目次】
記録がないため割愛。

【概要】(自主レポート2010/3/28のまま)

最終通告ゲーム
共同作業による成果を100%で表し、Aは自分の分け前を100-x、Bの分け前をxという提案をします。
Bはその提案を受け入れる、あるいは拒否する、のどちらかを選択します。Bが拒否した場合には、お互いの分け前はゼロになります。
すると、多くの場合Aが分け前を独占する形となる。(Bは少しでもお金がもらえた方がうれしいから)
しかし、自分の分け前が0になってでもBが拒否することも少なくない。

利得行列で見る、いろいろなゲームの種類
    支配戦略ゲーム
相手の出方に関係なく有利な結果をもたらす戦略(支配戦略)
例:インディージョーンズの選択(瀕死の父、多くの聖杯、本物→治癒、偽物→毒)
→父で先に試す、が一番有利な結果をもたらす
選択\杯
本物
偽物
自分が先に試す
-10
父が先に試す
-5

    集中ゲーム
双方の利得の和を最大にする戦略と(力の結集)と、相手におかまいなく一定の利得が保証される(単独行動)
戦略との間での葛藤。
例:鹿狩りゲーム(鹿を狙うには協力が必須)
狩人A\狩人B
鹿を狙う
野うさぎ
を狙う
鹿を狙う
10\10
0\6
野うさぎを狙う
6\0
6\6

    分業ゲーム
お互いに異なる戦略をとることが双方のメリットとなるが、
お互いが同じ戦略をとると、双方のデメリットとなる。
例:チキンゲーム(狭い交差点で出会った2人のライダー)
AB
前進
停止
前進
0\0
2\1
停止
1\2
0\0

    堂々めぐりゲーム
双方にとって、最適な戦略が一致しない。
例:信用ゲーム
買い手\売り手
良い商品を売る
悪い商品を売る
調べて買う
3\2
2\1
調べないで買う
4\3
1\4

社会的ジレンマ
自分の利益を最大にする個人の行為(個人の最適化)が、全体の利益を最大化することにつながらない
    個人は「協力」(利他的な戦略)あるいは「非協力」(利己的な戦略)の二者択一の問題に直面している。
    個人にとって合理的な選択は、非協力である。
    すべての人が非協力であれば、全員が協力する場合と比較して、劣悪な結果を招く

少数派ゲーム
「エルファロル・バー」 ブライアン・アーサー
60人が定員のバーに毎週100人の被験者が、個人の判断で来る。
すると、自然と60人前後の人数が集まるようになる。
(状況1)バーに行く→空いていた
(状況2)バーに行く→混んでいた
(状況3)家にいる→空いていた
(状況4)家にいる→混んでいた
このゲームの解答は、、、「譲り合いの精神」
状況1、状況4の時には、次回の戦略として、反対の行動をする。(前回バー空いていたから、今回は譲ろう!)
状況2、3、の時には、ランダムで選ぶ。
そのように、皆が譲り合いの精神を持つことにより、利益を得た人は、次回は譲り、利益を得られなかった人が利益を得るチャンスが生まれる。
譲り合いの精神が、「効率性」と「平等性」を同時に解決できる!!

「美人投票ゲーム」
もっとも投票の多い人に投票した人の中から賞金を与えます。
→個人の意志と反した投票をする。皆が最も選びそうな人を選ぶ
ジョン・メイナード・ケインズ
「相場とは、美人投票ゲームである」

数字実験からみる投票ゲーム
①大勢の被験者がそれぞれ、0~100までの整数を1つ選ぶ
②皆が選んだ整数の平均値をMとすると、2/3Mに一番近い整数を選んだ人に賞金を与える。
みんなが合理的に考えれば、、、
ステップ0 全員がランダムに数字を選ぶとすると、平均M=50
      よって、50×2/3=33
ステップ1 もし全員が合理的なら、33を選ぶだろう。
      すると、33×2/3=22
ステップ2 もし全員がさらに合理的なら、22を選ぶだろう。
      すると、22×2/3=15
ステップ3・・・・・・
最終的には0にたどり着く。
しかし、実験の結果としては、22付近の数字を選ぶ人が多かった。
その人たちの推論は、「自分は合理的であるが、他の多くの人はそうではない。そして、ステップ1までしか読まない。」

・カスケード現象
良い評判や関心に基づく行動が積み重なることで、多くの人の行動が同じ方向へ収斂していくこと。
ほかの人たちがある行動をとるのには、何らかの根拠があり、その人たちと同じ行動をとることは有用である、と考える情報的影響がはたらく。

・フォーカル・ポイント
お互いの心の中で共通に認識しやすい顕著な特徴、それにより、暗黙の強調が図られる。

・ゲシュタルト心理学
人間同士の相互認識は、伝統や慣例に表れる

・合成の誤謬
ひとつひとつは正しいが、集まると、間違ったものになる。

・節約の逆説(ケインズ)
節約自体は美徳であるが、多くの人がすると、不況になり、個人の所得は減る。
ミクロの総和はマクロにはならない。⇔分割の誤り(マクロの性質=ミクロの性質と考えてしまうこと)

・創発
一人ひとりの行動に着目するだけでは、そのような結果をもたらす因果関係をうまく説明できない現象をもたらすこと。例:交通渋滞、流行

・バタフライ効果
多くの事象の複雑な因果関係によって、まったく予想の出来なかった事が生じること。
例:風が吹けば桶屋がもうかる

・逆説
理に反することが熟考すると理にかなっている、または理にかなっていることが、理に反している。
(エピメニデスの逆説)「すべてのクレタ人が必ずうそをつく」とクレタ人が言った。

・ブルジョア戦略
相手が所有しているときはハト派、相手が非所有のときはタカ派。非所有者は所有者に資源を譲る。
したがって、資源をめぐる闘争は回避される。

・ロバート・チャルディーニ
情報過多の現代に、限られた時間で全ての情報を検討するのは不可能。
したがって、「影響力の武器」という、より簡素化された自動的で原始的な方法で意思決定を行う。
影響力の武器とは、、、
返報性:恩を受けたら、それにお返しをしなくてはいけない。
一貫性:ある立場を表明してしまうと、それを貫き通す
社会的証明:多くの人がとっている行動は適切な行動である、と判断してしまう
好意:自分が好意を持っている人の頼みは、承諾しやすい
権威:権威ある人の命令には従う傾向が強い。
希少性:量が少ないものは価値が高いと判断してしまう。

結論
うそつきが得をするかどうかは、私達がどのような社会をつくるかによる。
うそをつくことは、自分の利得の最大化を目指すという合理的な考えから生まれる。
よって、その前提を崩し、うそをつくことで損をするという社会にすれば、うそをつく人は少なくなる。
うそをつかれたとき、どのように受け入れ、許すかで、どのような社会がつくられるかが決まる。



【感想】
社会学っぽい本でした。
読んだのだいぶ前なので、内容はほとんど覚えてないですが、
このころ自主レポート書く癖をつけようとしていて、何冊かの本で書いていました。
いま見返すと、要約のレポートというよりも、単なる語句解説集だな。と思います。
しかし、「クレタ人」の話とか、美人投票ゲームとか、
普段の日常生活にある現象を「ゲーム」として普遍化してとらえる。という考え方が面白かったです。

「社会的ジレンマ」という言葉をこの本で知って、山岸俊男さんの本を読んだりもしました。
個人の得ばっかり考えて行動していたら、全体の総和として損をしてしまい、
最終的には自分も損してしまう。という理論を学びました。
それは、環境問題とか、著作権の問題とか、いろいろなところに共通してある問題だと思います。
そこで大事なのが「譲り合いの精神」だというのも、納得できましたが、
やはり、「うそつき」や「ただ乗り」をする人がいたら、
損する人、得する人が出てくるのは不可避だと思います。
この本に書いてあった通り、そういう人たちに対して、周囲の人や社会がどのように対応するか、
それによって社会が「嘘つきが得をする社会」になるかそうならないかが決まる。
と結論付けられていたのは、納得できました。

88/100『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』牛窪恵


以前読んだ本!!
草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』牛窪恵(マーケティングライター)
発行:2008年11月 講談社+α新書
難易度:★
資料収集度:★
理解度:★
個人的評価:★★
ページ数:186ペー

【本のテーマ】(表紙帯より抜粋)
オンナ化する男子の、新しい幸福のカタチ。市場を元気にするカギは、彼らが握っている
飲まない・買わない・セックスしない・・・・・・増殖する超親人類が市場を変えてしまう!

【目次】

はじめに オンナ化する男子「お嬢マン」とは?
第一章 お嬢マンの増殖と時代の変遷
第二章 「草食恋愛」が結婚を変える!
第三章 お嬢マンの超合理主義が、会社を変える
第四章 オトメン流美意識が、メリハリ消費を呼ぶ!
第五章 イエラブ族が、地域経済を救う!
おわりに 日本から総理大臣がいなくなる?


【概要】
記録がないので割愛
この本で自主レポート書いて提出した!はずやのに( ;∀;)
データも原本も無くした(ToT)

【感想】
牛窪さんを知るきっかけになった本です。大学二年生の時に読みました。
「男らしさ」って何やねん、って思ってた頃に見つけた本ですらすら読めました。
牛窪さんの他の本とかぶっているところもあるのですが、
これまでの「男らしさ」イメージを覆す現代の日本の若者の現状と実態を、
データやインタビューを通して書かれていました。

現代の若者について興味があったので、すごく興味深く読めました。
「ヘタをうちたくない」とか、地元志向、とか、家族を大事にする、とか、
告白したがらないとか、美にこだわってエステ行ったり、化粧したり、
かつての価値観であれば「オトコらしくない」と言われるようなことが、
割と普通に行われている現状を知ることで、
「男らしくしないと」っていう気持ちから少し解放されたのを覚えています。

「お嬢マン」とは、「名古屋嬢」から来ていて、著者がインタビューを通して、
一般的な名古屋嬢の雰囲気と今どきの若者男性の雰囲気が似ている。という
発想から生まれた言葉です。

この本を読んでから、「世代」によって、価値観とか、特徴とか、見えてる世界が違うんだろうな。
と思うようになりました。

2014年3月19日水曜日

87/100『キュレーションの時代』佐々木俊尚


読破!!
キュレーションの時代』佐々木俊尚(フリージャーナリスト)
発行:2011年2月 ちくま新書
難易度:★
資料収集度:★
理解度:★
個人的評価:★★
ページ数:311ペー


【本のテーマ】(表紙裏より抜粋)
テレビ、新聞、出版、広告――。マスコミが亡び、情報の常識は決定的に変わった。ツイッター、フェイスブック、フォースクウェアなど、人と人の「つながり」を介して情報をやりとりする時代が来たのだ。そこには人を軸にした、新しい情報圏が生まれている。いまや誰もが自ら情報を選んで、意味づけし、みんなと共有する「一億総キュレーション」の時代なのである。シェア、ソーシャル、チェックインなどの新現象を読み解きながら、大変化の本質をえぐる、渾身の情報社会論。

【目次】

プロローグ ジョセフ・ヨアキムの物語
第一章 無数のビオトープが生まれている
第二章 背伸び記号消費の終焉
第三章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
第四章 キュレーションの時代
第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく
あとがき

【概要】
第一章 無数のビオトープが生まれている
 知る人ぞ知る、ブラジル生まれの先鋭的な音楽家、ジスモンチ・ヨアキム、体調不良により活動を休止していたが、再び活動再開が決まった時、音楽プロモーターの田村さんが、どのような手法で、どこに的を絞ってPRを行い、七〇〇席の会場のチケットを完売させ、追加公演の五〇〇席も売ったか。が述べられていました。そこから見えてくるのは、趣味嗜好が細分化した世界の中で、細い川の先を見つけ、そこをたどって行く、というような地道で、生物探検家のような作業だった。著者はそのような趣味嗜好や情報ネットワークが細かく細分化された状態を生物の「ビオトープ」に例え、これからの情報社会の行く末を考えるきっかけとした。

第二章 背伸び記号消費の終焉
 映画産業と音楽産業をとりあげ、その二つの隆盛には共通点があると述べていた。80年代にはVHSカセットとCDが普及し始め、革新的であったため、どちらの業界も大きく盛り上がった。90年代初頭にバブルが崩壊してからも、「コンテンツバブル」として余韻を残していたほどであった。しかし、90年代のDVDとCDラジカセの普及からは、80年代ほどの「革新性」のない普及であったため、その予想に反して盛り上がりを見せなった。そしてついにHMV渋谷店が閉店したのは象徴的な出来事であった。その背景には、インターネットネット音楽事業の登場もあるが、マニュアル化による画一化のし過ぎもあると著者は指摘していた。
 「アンビエント化」という言葉は、「動画、音楽、書籍などのコンテンツを全てオープンに流動化し、いつでも、どこでも手に入るような形で一面に漂っている状態」という意味であり、コンテンツ産業は水に上から下に流れるという法則があるように、最終的ゴールとして必然的にその方向に向っている。アンビエント化が進むにつれて、コンテンツはよりフラット化され、ジャンル区分が不明確になり、大衆向けのマスメディアのあり方に変化を要求する。
 そこで次に、1960年から、2000年代までの「大衆」に対する感覚の変化を述べていた。
 1960年代末の永山則夫氏の殺人事件と、投獄中に書いた本、「無知の涙」が時代を象徴している。その頃は「ムラ社会・記号消費・パッケージ化」の時代であり、「まなざしの存在」が事件の大きな原因のひとつであった。しかし、1997年の酒鬼薔薇氏の殺人事件、2008年の加藤智大氏の殺人事件では、「まなざしの不在」が事件の大きな原因の一つとなっている。そこには、「ムラ社会」から「透明な自己」への変容がある。「2ちゃんねる」ユーザーは実は30~40代会社員のユーザーが中心であり、ネタで自虐している。
 ここから見えてくるのは、この数十年で「つながり」に対する価値が上がってきている。ということ。消費の形態も「つながり消費」が意識されるようになってきている。承認と接続のツールとしての消費であり、「共感できる」コンテキストが必要なのである。その例として田中眼鏡本舗を紹介し、そこでは眼鏡そのものの質もあるが、それ以上に、店主が眼鏡ついて語る「物語」や、店主そのものの魅力に惹かれて購入する。という。消費の形態は、かつての「背伸び記号消費」と「モノ消費」から「機能消費」と「つながり消費」・「物語消費」(場や行為の消費)へと変容している。そこで、「クラウド」と「シェア」という概念がこの二つの傾向にマッチし、近年普及し始めている。

第三章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
 「フォースクウェア」というアプリを紹介していた。特定の場所に「チェックイン」することによって、その場所の口コミやクーポンなどを得ることができる。フォースクウェアには3つの工夫があり、①みずからはモジュールに徹し、Twitterやフェイスブックなどの巨大プラットフォームに依拠した。②「場所(リアル)」と「情報(バーチャル)」の交差点の設計③交差点にユーザーが接続するため「チェックイン」を持ち込んだ。の3つである。
 また「エンゲージメント」とは、広告用語で、企業と消費者の間にきちんとした信頼関係を形成し、その信頼関係の中で物を買ってもらう。マスメディア衰退後の世界で重要な考え方であり、フラットであるがお互いに尊敬する関係の事。であり、「チェックイン」はそのような関係性を作り出す一役を担っている。
 それは、日本の古来の古来の考え方の中にもあり、千利休の茶道には、「主格一体」と言う言葉があり、ホストとゲストが協力して共に一体となって何かをつくる。その場で生み出される芸術に共鳴すること(=一座建立)。という意味である。鑑賞者でもあり表現者でもある。良い「客ぶり」というのが求められる、ホストとゲストがよりフラットな関係性の事である。
 「ライフログ」とは、個人の行動履歴をもとに消費者の行動予測をすることであり、近年注目されている。ライフログによって「無意識を可視化」することができるが、それを「気持ち悪い」と感じる人もいる反面、そのことによって、「セレンディピティ(偶然を発見すること)」の可能性を広められる。
そこで、その気持ち悪さを払しょくするためのプロセスが、「暗黙ウェブ(知らぬ間に情報を記録される)」から「明示(意思表示を示すことで情報を記録し・提案を受ける)」への転換である。
チェックイン、チェーンイン、検索キーワードなどは、全て「明示」であり、「視点」へのチェックインであると言える。情報という海に杭を差し込み、その周辺にできた渦から情報を拾うイメージである。
 しかし、それは同時にタコツボ化(視野が狭くなる)現象を引き起こし、セレンディピティとは相いれないものになりがちである。
 そこで、「視点」ではなく「視座」をチェックインする方法が提案できる。「視座」とは、「視点」の物事をみる立ち位置、だけではなく、どのような立ち位置と方角と価値観によってものごのとを見るのか、という意味である。その特徴として、①他者の視座へのチェックインが、視点のズレやノイズを生み、セレンディピティを生む。②フィルタリングのハードルが大幅に下がる。(情報ではなく視座を得ることができる)③プライバシー不安の回避などがあげられる。

第四章 キュレーションの時代
 キュレーターとは、本来は「学芸員」という意味であり、作品を選び、それを何らかの方法で他者に見せる場を生み出す行為のことを言う。アウトサイダーアート(精神障碍者や無学な人たちの純粋な創作意欲によってつくられた作品)を例にとって、キュレーターがそこに無防備な他者と向き合うことの畏怖と驚きと感動を見出し、作品展にまで繋がった事例を紹介していた。
 これまでのジャーナリズムは一時的な取材が中心であったが、もはや情報の量が多すぎて、一時的な情報であっても、真偽を見分けることが困難となってきている中で、情報の仕分け、情報が持つ意味をわかりやすく提示する作業の価値が高まってきている。
 キュレーターがセマンティックボーダー(アウトサイダーとインサイダーの境界)に「ゆらぎ」を生み、アウトサイダーを新たに取り込むことを可能にする。つまり、「つながり」と「情報」が統合されつつある。

第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく
 文化がアンビエント化し国を超える現象は、同時に文化の普遍主義を喪失させ、細分化した圏域で文化を閉鎖的にさせてしまう。
 70年代の日本は、アメリカの文化帝国主義であり、マスメディアの形成する「アメリカ文化への憧れ」により、全国民が幻想を追いかけた時代であった。
しかし、「ポストグローバル」と言われるようになり、真のグローバルとは、人間の根源的な部分で相通じることができるようになることであり、それは決して一回性を否定し、画一化して巨大化することを意味しない。グローバルの中には多様性が内包されている。
 その良い例として、「モンゴル帝国」をとりあげ、プラットホーム形成として必要な要因として、( )内はモンゴル帝国の例①圧倒的な市場支配力(軍事力)②使いやすいインターフェイスを実現(通商システム)③プラットフォームの上でプレイヤーたちに自由に活動させる許容力がある(不干渉主義)であると述べていた。

【感想】
 難しかったー。佐々木俊尚さんの本は、ノンフィクションっぽく、具体的に書かれていて、場面とか話がコロコロ変わったり、けど内容は一貫していて、まとめるのが難しかったです。いや、うまくまとめれていない自信があります汗
 でも、学んだ事としては、情報社会が「大衆(マス)」から細分化している。ということ。それを川の流れが分かれているのに例えて、その分かれ目それぞれに生物がいるように、そこにターゲットとなりうる客がいる。という「ビオトープ」の例えや、大量の情報の生みの中に「チェックイン」などによって杭を打ち、渦を作って、情報を引き寄せる。などの例えが沢山出てきて、想像力を掻き立てられ、そういう理解の仕方があるのか。と刺激的でした。
 そんな中で、「チェックイン」という客側の「積極性」というのが今後も広まっていくのだと思いました。
 また、そんな情報社会の「客側の積極性」とか「相互性」が、茶道の神髄である「主格一体」や「一期一会」に通じるものがある、と述べられていたので、それら意味を再度考えさせられました。一期一会というと、「出会い」を大切にし、その人との「つながり」をキープする、というような意味かと捉えていたのですが、たぶんもっと、「一回性」の意味が強くて、その人と「出会っている瞬間」こそを大切にするべきだという意味かなと思うようになりました。それが、間違った意味でのグローバライゼーションという「画一化」に反対する「スローフード」的な立場に当てはまるのだと思いました。

 「つながり消費」「物語消費」というのも、説得力があると思い、他の本で読んだ、「have」から「be」の時代、そして「share」の時代と言う言葉を思い出しました。それを言い返ると、「have」から「be」そして「do」(何かを共にする)という風にもいえるな。と思いました。

2014年3月17日月曜日

86/100『ネトゲ廃人』 芦崎治

前に読んだ本!!
ネトゲ廃人』 芦崎治(ノンフィクションライター)
発行:2012年4月 新潮文庫
難易度:★
資料収集度:★
理解度:★
個人的評価:★★
ページ数:254ペー


【本のテーマ】(Amazonの商品説明より抜粋)
現実を捨て、虚構の人生に日夜のめり込む人たち。常時接続のPCやスマホが日用品と化した今、仮想世界で不特定多数と長時間遊べるネットゲーム人気は過熱する一方だ。その背後で、休職、鬱病、育児放棄など社会生活に支障をきたす「ネトゲ廃人」と呼ばれる人々を生んだ。リアルを喪失し、時間と金銭の際限ない浪費へ仕向けられたゲーム中毒者の実態に迫る衝撃のノンフィクション。

【目次】
記録がないため割愛

【概要】
1.ネトゲ廃人のリアリティ
被験者たちの風貌は様々であり、ステレオタイプ的な「オタク」像にとどまらない。社会人、大学生、中学生、小学生、主婦(夫婦そろってのケースもあった)など。そんな中インタビューを通して多くの人に共通して言えることとは、彼らが「ネットゲームにはまりすぎて時間や人間関係を失ったことを後悔している」、という点、そして、「もし自分が親だったら子供にはやらせない」という点である。しかし逆に、現実世界で傷ついたり絶望していた人が、ネットゲーム上での共同作業で人とのつながりを感じ、心を開いていくきっかけになっているという事実が存在することも確かである。

2.セカンドライフ
ネットゲームだけでなく、セカンドライフという仮想空間で第二の人生を送るシュミレーションゲームにはまる人々が出てきた。その仮想空間上でイベントの仕事をして僅かなお金を稼ぎ、それを楽しみとしている人が紹介されていた。

3.ネットゲーム恋愛
ネットゲーム上で恋愛相手を見つけ、ネットゲーム上でデートし、ついには現実世界でも同棲するようになるケース、はたまた、ゲーム上で恋に落ちた相手が現実世界で出会うと理想とは程遠くて好きになれないので、仮想世界上だけでのその人物を好きになる、という屈折した恋愛も登場していた。また仮想世界での思い出も現実世界での出来事のように語る女性も登場し、仮想と現実の感覚が一つになっていっている感覚が紹介されていた。

4.ネットゲームによる家族の崩壊
主婦がネットゲーム上で浮気をするケース、両親でネットゲームにはまり、子供はゲームをする親に気を使い大人しいロボットのような性格に育っていくケース、ゲームに熱中するあまり夫婦間で会話がほとんどなく、ついには夫がうつ病に陥ってしまうケース、兄弟で兄がネットゲームにはまるが、弟には絶対にはまらせようとしないケースなど、さまざまな家族が紹介されていた。

5.韓国でのネットゲーム盛況
韓国では、ゲーマーがプロ選手として雇われ対決する試合が人気であるようなゲーム文化が根付いている。
PC房と呼ばれるインターネット利用施設でオンラインゲームをする。あるオンラインゲーム会社の売り上げは二兆ウォン(二千億円)にも上るという。ネットゲーム中毒者の増加しており、青少年の14・4%、成人の6.4%がオンラインゲームなどによる中毒が憂慮されている。(出典:コリアンヘラルド経済紙)2008年の統計によると、韓国の自殺率は10万人当たり24.3人OECD加盟国の平均(11.1人)の二倍以上で世界一位になった。
それに対応して、韓国政府の保健福祉家族部と韓国青年少年相談員が「インターネット・レスキュー・スクール」
を設立、ネットゲーム中毒の青少年の依存症を改善するためのキャンプを行っている。参加者3分の2は生活が改善され、学校へ行くようになったという。

6.まとめ
ネットゲームにはまる原因には大きく3つあるという。一つはゲーム自体の面白さ、二つ目ははまってしまう人の周りの環境などの外的要因。三つ目ははまってしまう人の性格などの内的要因である。
ネットゲームは悪い面だけでなく、新たな人間関係を繋いだり、仮想世界でしかできない経験をすることができるというプラスの面も持っているため、ネットゲーム中毒にならないように、「ゲームをする時間を管理・制限」することが何よりも大切である。

【感想】
 ネットゲームはしたことないけど、ノンフィクションを読んでみました。ゼミの課題で自分で選んで読んだ本と、そのレポートです。
「ネトゲ廃人」というと、オタクの人とか引きこもりの人なのかと思いきや、19人への一人一人へのインタビューを読むと、そうではなくて、色んな人がいるということをリアリティを持って感じました。

「依存症」状態になっており、抜け出せない人の話や、それが原因で家庭が崩壊したり、会話が極端に減ったり。でも、一番印象に残ったのは、ネトゲにはまりすぎている兄が、その弟がネトゲをやろうとしたら、絶対にハマらせないように注意した。という人の話でした。
あとは、ネットゲームのおかげでコミュニケーションが広がったり、自分に自信がついたというエピソードもあり、悪い面だけではないということも理解できました。

あと、韓国ではゲームがスポーツのように流行しており、スポーツ選手の感覚でゲーマーがいる。というのは、新しいな。と思いました。と同時に、ゲーマーという職業の厳しさが垣間見えました。

 この本を読んだから、今後ネットゲームにはまってるっていう人に会っても、ステレオタイプにとらわれずに、いろいろな人がいるんだと思いながらその人と関わっていけると思います。