2013年9月19日木曜日

読書マラソン 24/100 『どんくさいおかんがキレるみたいな。』 松本修

読破っ!!

『どんくさいおかんがキレるみたいな。』 松本修(放送作家)
発行:20013年5月
難易度:★★☆☆☆
ページ数:331ページ
 
 
 
【本のテーマ】
関西の人気番組「探偵!ナイトスクープ」の生みの親、「全国アホバカ分布図」の著者である、放送作家の松本氏が、方言が標準語の中に広く深く浸透していく過程を具体的な論拠をあげ分析し、考察した方言入門書。

【キーワード】
「どんくさい」「みたいな。」「キレる」「おかん」
芸人、隠語、楽屋言葉、メディア 
 
【目次】
まえがき
序章 千と千尋の「どんくさい」
第一章 「マジ」にときめく深夜の少年
第二章 笑いの装置「みたいな。」の誕生
第三章 「キレる」宰相と若者たち
第四章 「おかん」の陽はまた昇る
あとがき
 
【概要】
まえがきでは、お笑い界がリードして現代の日本語を変えてきた。と述べていた。
著者がテレビバラエティのディレクター、プロデューサーとして生きてきた経験を背景に、日本の話し言葉が変容してきている一例を論じ、その背景を考察していく。と述べていた。

序章では、「どんくさい」という言葉の広まりについて述べていた。
著者が担当していた『ラブアタック!』という、関西のローカル番組から全国ネット番組に昇格した番組があり、その中で「どんくさい」という言葉を司会者が多用していた。当時関東出身の学生アルバイトによると、関東では「どんくさい」と言う言葉を使わず番組で初めて聞いた。とのことだった。しかし、14年後のある出版記念パーティーで、当時の関係者が当時は関東では使わなかったが今ではよく聞くようになった。という話を聞いた。また、映画「千と千尋の神隠し」の中でも、千尋が「どんくさい」と馬鹿にされ、最後にはリン(湯屋の先輩)が「『どんくさい』って言ったのを取り消す!」と言うように、ある意味「キーワード」として登場しており、著者は言葉が浸透する過程に関わることができた、と実感した。

第一章では、「マジ」という言葉の広まりについて述べていた。
もともと「マジ」という言葉はもともとはお笑いの楽屋で用いられる「隠語」であった。それがなぜこれほどまでに広まったのか。歴史をさかのぼり、江戸~明治時代にも「マジ」という言葉が関東を中心に普及していたが、明治維新という社会改革の中でいったん死語となった。と述べていた。『現代用語の基礎知識』という現代語辞書をもとに、「マジ」が再び普及する二回の波(1979年と1985年)を指摘し、その原因を分析している。第二回の波(1985年)の頃は、さんま・ビートたけしなどの「ひょうきん族」のメンバーが中心になって広めた、と結論づけ、第一回の波(1979年)は、「オールナイトニッポン」で福亭鶴光が多用していたことを指摘していた。関東のリスナーを意識し、関西弁を多用しようと意識するうちに、楽屋の隠語であった「マジ」も無意識的に多用し、結果的に関西でのトークよりも関東でのトークの方が「マジ」を多用するという状況になった。言葉の変容に大きく関係する、以前の落語家の東西交流についても述べられていた。

第二章では、「みたいな。」という言葉の用法と広まりについて述べていた。
「・・・みたいな。」という言葉は、語尾に置くことで、セリフを丸ごと「引用化」し、過激な事を言っても自分への発言責任が曖昧になる。という効果から、会話の誘引剤となり、コミュニケーションを盛り上げる効果を持っている。と述べ、ここ数年で若い世代を中心に多用されているため、世代によっては違和感を感じる。と述べていた。「・・・みたいな。」の表現は、昔から、芸能界の間では使われる表現であったが、それを世間に広めたのは、「とんねるず」であると結論付けていた。彼らが番組の中で多用していたのだが、その背景にあったのは、とんえねるずの出演するバラエティのプロデューサーの口癖であったものを、とんねるずが流行らせようと意識的に番組内でも使用した。と述べていた。そのプロデューサの話によると、番組の会議の際に、「例えば・・・」で話し始めると重苦しく、回りくどいが、いきなり具体的でインパクトのあるアイディアを話し、最後に「みたいな。」とおどけることで、話しているうちにアイディアに自信が無くなったりしても、ごまかして笑いがとれ、場を和ませることができる。と述べていた。「・・・みたいな(笑)」話法は、話にメリハリをつけ、それでいて、過激すぎない印象を与え、聞く人を楽しませたいという思いに溢れた話法である。と述べていた。

第三章では、「キレる」と言う言葉の意味が変容し、広まっていったことについて述べていた。
安倍首相を始めとする政治界の人をメディアが取り上げる際に「キレる」と言う言葉を多用するようになった。もともと若者言葉であったものが、日本語へと浸透していっている。しかし、もともとは「キレる」は大阪の楽屋言葉であり、昭和40年代以降使われていた、「センキレ(線キレ)」「キレテル(切れてる)」という言葉で、「頭がおかしく、行動が変だ」「線=頭の神経の筋、回路、が切れている」という「狂人」をも意味する言葉であった。1970年代後半には「狂ったように激怒する」という意味に変容しつつあった。それを世間に中心となって広めたのは「ダウンタウン」である。と述べていた。

第四章では、「おかん」を中心に、親への呼び名の変容について述べていた。
「おかん」は関西の方言であったが、ダウンタウンのコント「おかんとマー君」をきっかけに、全国に広まる。しかし、その松本人志氏本人は、他の番組の中で両親のことを「かあちゃん、とうさん」と呼んで育ってきたと分かる。2009年に著者が行った関西学生に対するアンケートでは、普段両親をどのように呼ぶかという調査により、男子学生は、昔は「お母さん」と呼んでいたのが「おかん」に変わり、友達との会話に登場するときには「おかん」が一番多い、という結果が出た。(お父さんは、友達との会話に登場する際にも「お父さん」と「おとん」が同数くらい。)(女子学生は「お母さん」「お父さん」のままが多い)「おやじ」は少数、「おふくろ」は皆無。
「おかん」の一番古い歴史は、天保一四年(1843年)であり、庶民的というイメージはなく、生活に余裕のある大坂の町人の娘や息子が母親に対して敬意をもって使っていた言葉であり、のちに庶民がそれにあやかって使うようになったのではないか、と述べていた。しかし、戦前の時代に「お母ちゃん、ママ」という言葉の普及により、衰退していった。そんな中1975年前後に、大阪のお笑いでギャグとして「おかん」が使われるようになる。「お母さん」よりもランクの低い言葉として新鮮味で滑稽な言葉、または「庶民的な大阪の母の記号」として、再び広まった。
そして、「アホの坂田」こと坂田利夫氏、間寛平氏、西川のりお氏との各対談の中では、坂田氏が幼少から母親を「おかん」と呼んでいたと述べていた(しかし、父親は「おとん」ではなく「お父ちゃん」)ことや、母親が商売をしている家庭では、「おかん」と呼ぶ文化が根強く残っていたことが述べられていた。つまり、「おかん」は働き者で、貧しくはあっても、いつも明るく元気で頼もしい。そして子供を育てるべき母としての、絶対的な愛情に満ち溢れた存在である。と述べていた。
今、また普及し始めているのは、そのような「母親像」を求めているからではないだろうか。と締めくくっていた。

あとがき
前著「全国アホバカ分布図」では、言葉が地を這うように、しだいに広まる過程を分析していたが、
メディアの普及により、今や言葉は地ではなく、天から電波として伝わり、広まっていくようになった。と述べていた。

【感想】
「生きた言葉」を考察している本だと思い、とても興味深かったです。同じ言葉でも、生きる時代、育った環境などによって、印象が大きく変わってくる。そういうことを感じれる本でした。実際に、この本のタイトルも、最初見たときは「方言の寄せ集め?」という印象でしたが、それぞれの単語の歴史や背景を読んだうえでみると、また印象が変わってきました。それぞれの言葉をこれでもか!というくらい掘り下げていたのが、さすが放送作家で、「言葉」に対して本当に真剣に、真摯に向き合っておられる姿勢を感じました。

そして何より、自分の研究にも役立つな、と思ったのが、「新しい言葉」を研究する際に、「その言葉をどこで、初めて聞きましたか?」という質問を投げかけることで、その言葉が生活に密着したレベルでどのように広まっていったのかを知るきっかけになる。ということを学びました。

自分たちが年寄りになった頃には、また「言葉」も変わって、今の流行語が「死語」になって、また新しい言葉が生まれていき、昔の言葉が違う意味を持って使われていくのかな。という想像をしました。年を重ねるごとに、言葉の深みをより味わうことができるのかな。と感じました。

【個人的理解】
80% 歴史的な説明は、具体的すぎて、さらっと流させていただきました。。。
【個人的評価】
80点 エッセイ的要素がある中にも、学術的な要素も多く、読みやすく、興味深いテーマの本でした。

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