『タモリ論』樋口毅宏(作家)
発行:2013年7月
難易度:★☆☆☆☆
ページ数:190ページ
発行:2013年7月
難易度:★☆☆☆☆
ページ数:190ページ
【本のテーマ】
「いいとも!」に毎日生放送で出演し続ける「タモリ」に焦点を当て、彼のすごさ、経歴、人柄について述べ、大御所であるビートたけし、明石家さんまとも比較し、それぞれの違いを考察する。
「いいとも!」に毎日生放送で出演し続ける「タモリ」に焦点を当て、彼のすごさ、経歴、人柄について述べ、大御所であるビートたけし、明石家さんまとも比較し、それぞれの違いを考察する。
【キーワード】
生放送、ハプニング、長寿番組、大御所芸人、日常の一部、欺瞞的空間、Xデー
【目次】
はじめに
第一章 僕のタモリブレイク
第二章 わが追憶の「笑っていいとも!」
第三章 偉大なる”盗人”ビートたけし
第四章 明石家さんまこそ真の「絶望大王」
第五章 聖地巡礼
第六章 フジテレビの落日、「いいとも!」の終焉
おわりに
【概要】
はじめに、では、「お笑い」をテーマに語ることのむずかしさを述べていた。
「海について知るものは賢者だが、海について語るのは馬鹿だ」とう言葉を述べ、それを承知したうえでこの本で「お笑い」について述べる。ということを宣言していた。
第一章では、著者がタモリに魅力を感じ始めたきっかけについて述べていた。
著者は、最初のうちは「いいとも」を「ぬるい空気と欺瞞に満ちた嘲笑すべき」ものであると感じていたが、職場の尊敬する先輩カメラマンがタモリのある番組にゲスト出演し、その先輩がタモリの印象について「恐ろしく孤独な人だ」と語ったことで、興味を持ち始めた。と述べていた。
第二章では、「いいとも!」の番組史について述べていた。
1982年の10月から「笑っていいとも!」の放送が始まる。当初はワンクールで終わる予定の番組であったが、30年以上続いている。生放送のためハプニングがしばしば起こっていた。それらのハプニングの一部や、テレフォンショッキングの次の日のゲストを電話で呼び出す際のやりとりなども、実は事前に打ち合わされていた。「100%仕込みでもないし、100%フリーでもない」と制作者のコメントを引用していた。デビュー当初のタモリは「江頭2:50的キワモノ」扱いだったのが、年月を経て国民的タレントになった。
第三章では、比較としてビートたけしについて、経歴と特徴を述べていた。
タモリが漫画家の赤塚不二夫氏に見込まれて芸能会入りしたのに対して、たけしは下積みを経て師匠を持ち、自力であがってきた。その過程で多くの芸風を真似て学び、後に映画監督となった際にも、多くの作品の「オマージュ」を自身の作品に取り入れている、ということを指摘していた。その傾向から、たけしは強い「憧れ像」を抱き、その人間像に向かって真似をし、学ぶ性格である性格であり、ピカソの「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」の実践者である。と述べていた。しかし、「盗む」際にはいくつかの守らねばならない原則があり、たけしはそれを守っている点も評価できると述べていた。
第四章では、比較として明石家さんまについて、経歴と特徴を述べていた。
高田純次の病欠による代理でバラエティに出演し、それまでは俳優路線で進んでいた。タモリを「絶望大王」と述べていたが、さんまこそが「リアル絶望大王」であると述べていた。その根拠に、家庭環境や、弟の事故死について述べ、だからこそ生きることのありがたみや、笑うことの大切さをより感じ、人を笑わせる使命感が強い。と述べていた。
第五章では、著者が「いいとも!」の観覧に初めて行ったエピソードが書かれていた。
幼いころテレビで見ていたセットを生で見たことで、「方丈記」の「ゆく河の流れは絶えずして、、、」の一節が思い浮かび、自分が「聖なる一回性」の中にいる。と実感した。と述べていた。
そして、やはり全体を通して「異様に明るい欺瞞的空間」を感じるが、それが正しい「いいとも!」との付き合い方だと感じた。と述べていた。
第六章では、大御所の引退について思いを巡らしたことを述べていました。
「いいとも!」は絶頂期からは視聴率が下がり、視聴者の一部が他局にうつりつつある現状がある。2012年の「27時間テレビ」ではタモリが総合司会を果たし、番組の中でさんま・たけし・タモリの「三大大御所」が共演を果たした。その様子を著者は「テレビの最終回、フジテレビの葬式、テレビの遺影」であると表現し、彼らのような大御所を育て上げられていなかった芸能界の現状を憂いていた。
おわりにでは、タモリが「タモリ」でなく早く「いち人間」に戻れる日を願う。と述べていた。
【感想】
最近重いテーマばっかりだったので、すごく読みやすかったです。エッセイ風の論調で、すらすらよめました。
著書の中で引用していた「パレード」という小説の引用で、
「笑っていいとも!」ってやっぱりすごいと私は思う。一時間も見ていたのに、テレビを消した途端、だれが何を喋り、何をやっていたのか、まったく思い出せなくなってしまう。「身にならない」っていうのは、きっとこういうことなんだ。
と、いうものがあり、これはすごく深いと思いました。「記憶に残る思い出」に価値があるというのは結構意識されますが、「記憶には残らない『当たり前の安心感』に浸かれる空気」というものにも同じように価値がある、という風に思いました。「サザエさん」しかり、「探偵ナイトスクープ」でも、同じような現象があると思います。それは、家庭内で何気なく話していることを覚えていないのと同じ感覚なのではないか。と思います。そんな「記憶に残らない安定感・安心感」の価値は、もしかしたら、前述の「記憶に残る思い出」よりも欺瞞性が低く、リアルで、親近感を感じれる、価値があるものなのかもしれません。
個人的にタモリさんと、さんまさんと、黒柳さんが好きで、彼らがテレビから消えることを考えると、すごくさみしいし、悲しいです。しかし、そのXデーは必ずやってくると思います。
彼らのような長寿番組を務められる大御所司会者が生まれることを期待しています。
【個人的理解度】
80% ところどころ出てくるプロレスの例え話があまりわからなかったです。(^-^;
【個人的評価】
70点 エッセイ的本でしたが、大御所の歩みからすごく身近な「歴史」を感じることができました。
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