『バラエティ番組化する人々』榎本博明(精神学博士)
発行:2014年10月 廣済堂新書
難易度:★★☆☆☆
資料収集度:★★★★☆
理解度:★★★★★
個人的評価:★★★★★
ページ数:188ページ
【本のテーマ】(裏表紙より抜粋)
自分のキャラを意識し、仲間とキャラが被らないように気をつかう現代人の人間関係。
キャラにのっとったお約束のやり取りは、テレビのバラエティ番組さながらの様相だ。
キャラによって自分の出し方が決まり、無難にその場をやり過ごせる一方で、
キャラという借り物の個性にとらわれ、息苦しさを感じる人も多い。
「キャラ」と「自分らしさ」をめぐる心の問題を心理学者が徹底分析。
【目次】
第一章 武器としての「キャラ」
第二章 キャラが生み出す安心と葛藤
第三章 その場にふさわしいキャラを生きる
第四章 「自分らしさ」がわからない
第五章 キャラをヒントに「自分らしさ」をつくっていく
【要約・感想】
とても「今」の若者の心理を分析した著書でした。
近年「キャラ」という言葉が多用されるようになり、
その良さと危うさ、そして、その特性を理解した上で、
「キャラ」とどのように向き合っていけばよいのか、考えさせられる本でした。
まず、この本が伝えたかったことの一つとして、
「本来、人間とは多面的な性格を持つ存在である」というテーマが伝わってきました。
しかし、その多面的な自己のままで人間関係の中に飛び込むと、
複雑になりすぎてお互いに疲れてしまうから、
人間関係を円滑に、シンプルに、そしてテンポよくするための
一面的な自己しての「キャラ」を規定する。というのが「キャラ」の概念であると感じました。
そして、そんな「キャラ」というのは、確固とした普遍的な物ではなく、
その場その場に応じて、特に所属するグループに応じて形を変えて、
周りとの関係の中で「キャラ」が形成され、それを自分が「演じる」という図が成り立つ。
自分の中に目指す理想の「キャラ」のイメージがあって、
周りとの関係の中で形成された「キャラ」もそのイメージに近い場合は
窮屈さを感じることは少ないが、
演じる「キャラ」が自分の理想の「キャラ」とかけ離れている場合は、
窮屈さを感じてしまうことになる。
「キャラ」がここまで普及した理由の一つに、
社会的な外的要因による自己規定が減り、より自由な社会になったことがあげられる。
年齢・性別・所属等、外的な要因により自己を規定される機会が減ったことにより、
より自分らしく、自由に発言・行動できるようになった。
しかし、その反面、自己を規定するものが無くなったことにより、
曖昧な自己になってしまい、そんな自己イメージを補うために「キャラ」を利用する。
「キャラ」コミュニケーションは、
誇張され、わかりやすく、テンポが良く、表面的には面白い関係ではあるが、
その反面、人間の多面性を否定し、個人的な深いところまで入りにくく、
相手にあまり立ち入らなことを「優しさ」とする傾向がある。
そんな今の時代で「キャラ」をうまく使いこなすには、
まず、自分が理想とする「キャラ」の自己像を明確にする必要がある。
そのためには、自分がどんな人間であるのかを知る必要があり、
周りとの関係の中から形成された自分の「キャラ」を演じた時に
「違和感」を感じた瞬間こそが、「自分らしさ」を見つめ直す機会であり、
異質な人との関わりの中で形成された様々な「キャラ」を通して自分を見つめ直し、
自分が目指す「キャラ」をうまく着こなすことが理想的である。
「キャラ」という概念が良いものか悪いものかという極論では語れませんが、
コミュニケーションの潤滑油という役割では確実にあった方が良いと思います。
ただ、一方では、自分の「キャラ」、他者の「キャラ」を受け入れ、演じ合いながら、
一方で、一面的な「キャラ」を自分にも他者にも押し付けず、
人間の多面性を忘れない姿勢が大事だと思います。
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