2014年12月14日日曜日

122/200 『「若作りうつ」社会』熊代 亨(精神科医)


読破っ!!
『「若作りうつ」社会』熊代 亨(精神科医)
発行:2014年2月 講談社現代新書
難易度:★
資料収集度:★
理解度:★☆☆
個人的評価:★★
ページ数:204ページ



【本のテーマ】(裏表紙裏より抜粋)
年の取り方がわからなくなり、寄る年波に足が竦んでしまっている現状について、
ミクロな個人とマクロな社会の両面から考えていく――そういう趣旨の本です。
過去に遡ってそうなった原因を検証し、未来に向かって何をすべきか模索するための
本でもあります。(中略)本書を通して一人でも多くの人に「年の取り方」について
思いを巡らせていただき、これからの年の取り方について真面目に考えてみてほしい、
と願っています。(「序章 年の取り方がわからない」より)

【目次】
序章 年の取り方が分からない第一章 「若作りうつ」に陥った人々の肖像
第二章 誰も何も言わなくなった
第三章 サブカルチャーと年の取り方
第四章 現代居住環境と年の取り方
第五章 二十一世紀のライフサイクル
終章 どのように年を取るべきか

【要約】
第一章 「若作りうつ」に陥った人々の肖像
「いつまでも若く活動的でいたい」という気持ちを持っている反面、
老いにしたがって身体がついていかない。そんなギャップから精神科に来る人々がいる。
著者がカウンセリングを行って人々の特徴を述べていた。

第二章 誰も何も言わなくなった
「年の取り方が分からなくなった」原因として、地域社会の崩壊があげられ、
かつては、地域社会の中で違う世代の人と関わる中で、
年の取り方を肌を通して実感していた。

第三章 サブカルチャーと年の取り方
サブカルチャー文化から、「年の取り方」について考察していた。
1960年代には、スポ根、大人を意識した成長物語が主流
1970年代には、大人を意識しない成長物語が主流
そして1980年~00年代以降は、努力をしなくても能力が与えられている物語が主流

また、「中二病」や「アイドル文化」についても述べており、
それぞれが若者に与えるスピリチュアル性、自己特別感について述べていた。
それは現代のアニミズムであり、大人と子供の境目が曖昧となる
幼形成熟(ネオテニー)社会への助長の一因となっており。
そのことが年の取り方が分からなくなる原因のひとつである。

第四章 現代居住環境と年の取り方
専業主婦の定着による主に母親のみによる子どもの教育が増えたことで、
子どもの価値観を固定的なものにしてしまい、
親の価値観によって「文化資本」(社会に出て通用する常識や知識)に格差が生じてしまう。
そこに、地域での世代間交流が少なくなったことが、
その格差を補正する機能を果たせなくなってしまった。

第五章 二十一世紀のライフサイクル
エリクソンの提唱するライフサイクルは、
一人の人間がそれぞれの年齢の段階で学習する領域がある。という説であったが、
著者はそれを更に発展させ、
学習する領域は、それぞれの年齢の段階だけのみならず、
それぞれの段階で学び始め、その後生涯学び続ける。
また、ライフサイクルは他者・他世代と密接に関係しており、
ライフサイクルを個人のものと考えるのは不十分である。

終章 どのように年を取るべきか
結論としては、多くの世代と交流を持ち、社会的加齢のイメージを作る。ことである。



【感想】
タイトルが衝撃的だったけれども、
「いかに年を取っていくか」ということが分からなくなってきている時代である。
というテーマにはすごく共感できました。

そして、母親もしくは父親が「唯一神」であるかのように、
一方の親に育てられる現代の子供の居住環境により、
子どもの「文化資本」に偏り・格差が生じ、さらにそれを補正する地域の役割が弱まっている。
という主張には納得しました。

また中二病やアイドル文化にも絡めて論じていたのが、
現代の現象を深く考察しているなぁ。と感じました。

エリクソンのライフサイクルも、高校の倫理で習ったことがあったけれど、
それを「世代間の交流や関係性」をもっと組み込むべきである。ということや、
生涯にわたって学び続ける。という点は、
少し難しくて理解しきれないところもあったけれども、
一昔前では世代間の交流が「当たり前」であったため、成り立っていた図式が、
現代社会では成り立たなくなってきてしまっているのだと感じました。

「若さ・可愛さ至上主義」の現代社会で、
いかに年老いていくのか。というのは、現代人が抱える重大なテーマであると思い、
「色々な年の取り方がある」ということを肌で実感するために、
世代の離れた人との交流をもっと持ちたいと思うようになりました。

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