2013年12月9日月曜日

卒論に向けて、頭の中の整理。

博報堂の若者研究所の原田さんの著書によると、
SNSによって作られた「新村社会」の住民が、空気からの干渉(KYと言われたり他者から批判されること)を逃れるためには、「自分のキャラを立てる」ことだ。と言っていたのが、ずっと頭に残っています。「空気にそぐわない」行動をしても、「キャラ」が立っていれば(まじめキャラとか、おバカキャラとか)、許されやすい。ということです。

「空気・気・キャラ」を日本文化のキーワードとして研究を進めてきましたが、
その三つを図式化するとしたら、個人の心の真ん中に「気」があって、その周りに「キャラ」を身にまとって、そして、外の世界にあるのが「空気」という図をイメージするようになりました。
本音である「気」は「キャラ」で覆い隠して、簡単には他人には見せません。「キャラ」の鎧が薄いと、「気」は「空気」からの干渉や影響を受けやすく、「キャラ」の鎧が厚いと、空気の干渉や影響は受けにくいけど、鎧が重くなって、「気」にストレスがかかる。
「空気」は複数の人間の「キャラ」の鎧の隙間からにじみ出る「気」の集合体であって、それが全体の総意として、絶対的権力を持っている。
ここまでだと日本論の「本音と建前、空気」の説明っぽいけど、ここで大事なことは、「キャラ」は自分だけで簡単に形成するものではなく、「空気」によって、形成されてゆくものであり、周囲から承認されて初めて鎧となる。という点である。つまり、本人ができることは、その「空気が形成したキャラ」を積極的に受け入れ、鎧を手にし、人によってはぶ厚くしていくか、もしくは、「空気が形成したキャラ」を拒否し、「キャラ」の鎧を被らず、自分だけで形成した「キャラ」を押し通すことにより、他者からの違和感や批判を覚悟するか。のどちらかなのである。
そして、そこで大事になってくるのが「柔(やわら)」の精神である。
柔の精神とは、相手の動きのエネルギーを利用して、自分の思うように相手をコントロールする。という柔道の概念である。「キャラを形成しようとする空気」のエネルギーに、ぶつからないように、その流れをうまくコントロールして、自分の望む「キャラ」へと導き、空気に自分の望む「キャラ」を形成させ、定着させる。そのような能力が、日本社会において団体と調和しながらも自分らしく生きるために必要な能力であると思うようになりました。

具体的に言うと、日本式「リーダーシップ」とは、例えば部下が間違った意見や提案をした時に、真っ向から批判が出来る人ではなく、相手の「気」に配慮し、何を言いたかったのか、言葉の深層を汲み取り、相手の的外れな提案や意見に対しても、真っ向から否定するのではなく、相手の意見を出したというエネルギーを、うまく利用しながら、相手の視点を「正しい」方向へずらし、正しい意見へと導くことができる人のことである。
もちろん、白黒・善悪をはっきりさせる欧米式リーダーシップも、そのやり方に適応すれば効率的に進めることはできるが、日本人の価値観的、もしくは日本語の性質のその特性を考慮すれば、
日本式「柔的」リーダーシップの方が、心理的負担も少なく、効率的になると考えます。

「空気・気・キャラ」ともに、目には見えない概念であり、しかしその概念があたかも存在しているかのように、実際の心理に影響を与える、もしくは相互作用がある。
それを山本七平氏は「臨在感的把握」と命名しました。
同じように、中国文化における「面子・関係・人情」も、どれも目に見えない概念でありながら、
人間の行動・心理に大きな影響を与える存在として、「臨在感的把握」の対象である。ということができると考えます。
日中どちらのキーワードのどれもが、人間関係において効果を発揮し、また、自己イメージと自己尊厳、他者イメージと他者尊厳に関わる言葉という点で共通しており、概念的にも共通している部分がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿